プチ小説「希望のささやき10」

中山は大雨が降り続く中、中岳の付近を1時間もの間、行ったり来たりしていた。
「それにしてもひどい雨だな。ぼくのような中年を過ぎての俄仕込みの登山経験が少ないものが本当に困る時というのは、こんな大雨の時じゃないのかな」
南岳小屋を出て2時間も経過していないのに、中山の雨具はずぶ濡れで内側に浸透してきている気がした。
「そろそろこの雨具も買い替えないといけないんだが...。こんな大雨をやりすごすにはテントの生地のような雨具がいいんだろうけど、ごわごわしている気がして使う気にならない」
中山は時計を見て、それからあたりを見回した。午前8時ごろであたりは明るかったが、大雨で視界も10メートルほどしかなかった。
「さっきから、この辺りを行き来しているが、どちらが北なんだろう。南岳小屋から槍ヶ岳山荘に行くまでに何か所か開けたところがあり、そこでマーカー(矢印)を見失うことがある。この辺りもそんなところで、方角がわからなくなった。晴天なら正面に槍ヶ岳が見えて、その雄姿を見ながら楽しんで進んで行けるのに、今はそんな状況ではないな」
中山は登山者と出くわし、どちらが北かを教えてもらえることを期待したが、生憎、小屋を出てから生き物と出会うことはなかった。それほどひどいどしゃぶりだった。
「初めて槍・穂高に来た時も大雨の中を上高地まで下山したが、あの時は雷鳥と出くわしたんだった。でも今日はだめだな。こんな大雨でも熟練の登山者なら、迷わず大キレットを経由して、北穂高岳、穂高岳山荘を目指すのだろうけれど、また中級者なら一般的な下山のルートとして槍平方面に下りるのだけれど、ぼくはいつも経由する槍ヶ岳を通って上高地まで下りるルートを選んだ。天気の良い日なら、道に迷わず、午後4時前には上高地に到着するのだけれど、もう1時間以上道に迷って時間をロスしている。松本市内に戻るためには、遅くとも午後6時には上高地に着かないとだめだろう。今の時期は日没が遅いので余裕があるが、9月になるとそういうわけにはいかないだろうな。ふーっ、疲れた。、ここらで一休みすることにしよう」
中山は、非常食としてコモパン2個を携帯していた。朝食を食べてから2時間半経過してお腹がすいていたので、リュックから取り出すのに苦労するが食べることにした。
「それにしても、このリュック用の雨具は雨水がリュックの中に入るのをしっかり防いでくれるが、途中で中のものを取り出すのが大変なんだ。あー、うまそうだな。ジャムパンとあんパンがあるけれど、あんパンの方を食べることにしよう。ちょっとガスが切れて遠くが見られることがあるが、ここは3年前に来た時にブロッケン現象を見たところじゃなかったかしら。あの時はライカじゃなくて、ニコンの自動焦点カメラ、しかもズームレンズをつけていたから、うまく撮れた。ぼくの場合は登山の目的の第一が写真撮影なのだから、このあたりも他の登山者と異なるところだろう。5年前に穂高岳山荘に行けた時も、天気は良かったのにガスがかなりあったので写真撮影ができないと思い、奥穂高岳、前穂高岳、岳沢を経由して上高地に下りるルートを選択せず、ザイデングラード、涸沢を下りて上高地に出るルートを選んだのだった。今から思えば、40歳半ばで体力的にも充実していたし、穂高岳山荘で知り合った。熟練の登山者と楽しい会話をしながら、下山することもできただろうに。まあ、今となっては、どうしようもないのだが」
中山は少し躊躇をしていたが、しばらくしてジャムパンも食べ始めた。
「腹が減ってはなんとやらなので、こちらも食べておこう。槍ヶ岳山荘でも、槍沢ロッジでも食事は取れるし...。そう言えば、ここ8年間で槍・穂高には7回来ている。元はと言えば、槍沢ロッジの広場に置かれてあるスコープで槍の穂先(最後の梯子を登っているのが見えた)を見て自分も登ってみたいと思ったのが始まりだった。4日間しか休暇が取れず、以前あった夜行列車の急行ちくまもなくなった。それで始発の新幹線で名古屋に出て、午前9時発の特急しなのに乗り、松本駅から松本電鉄の電車とバスを利用して上高地に入ることになった。1日目は4時間ほど歩いて槍沢ロッジに泊まる。2日目は槍ヶ岳山荘を経由して南岳小屋まで行くのだが、午後4時までに着かないと晩ご飯が食べられないから、時間との勝負だ。3日目は急峻な道を命がけで登ったり下りたりする。恐怖感は確かにあるが、乗り越えた時の達成感は相当なものだ。まだぼくはこれを2回しか経験していない。ガスで視界がきかなかったのが、かえってよかったのだろう。晴天で視界がきいていたら、特に涸沢槍のあたりでは足がすくんで先に進めなかったかもしれない。何とか穂高岳山荘に着けば、3日目は終わりとなるが、その先はぼくは行っていない。仮定の話になるが、奥穂高岳、前穂高岳を経由して岳沢から上高地に下り、午後4時ごろのバスで新島々まで行き、松本駅には午後6時頃には着くだろう。特急しなのは午後8時30分松本発があるから(2016年9月現在)ゆっくり夕食を取って乗車すればよい。名古屋に着くのが午後10時34分で、自宅に着くのは午前様だろう。でもよく考えると先へと行かないのは、自制心が働いているのかもしれない。。穂高岳山荘を出てすぐに絶壁のような壁を登らないといけないし、まずはそこでどうしようかと迷うんだ。奥穂高岳、前穂高岳では遭難のニュースをよく聞く、また紀美子平、屏風岩のあたりでは滑落事故のニュースをよく聞くし、命がけで行くだけの価値があるんだろうかと。あまり意識しないが、そういう葛藤が心の中であるのだろう」
中山は、ぼんやりと登山靴をながめていたが、雨にぬれても、温かいのに気が付いた。
「登山靴が合わず、両方の第1趾の爪がはがれ、1シーズンを槍・穂高をあきらめたことがあった。それでもその年に富士山や八ヶ岳は登れた。ぼくにはそれくらいの初心者向けの山が向いているのかもしれない。おや...」
中山が前方を見ると雷鳥がいた。雷鳥は中山の方を見つめ、行ったり来たりしていたので、こっちに来いと言っているように見えた。
「思いがけず、案内人を見つけることができたな。でも、君を信用していいのかい」
するとどこからともなく、男性とも女性とも判別できない低い声が答えた。
「中年になって思いつきで登山を始めたやつに穂高縦走の勲章はやれない。ただお前は俗世で何かを残すことはできる。ここで死なせるのは惜しい。さあ、俺の気が変わらぬうちに案内人について、この窮地を抜け出すがいい」
中山が雷鳥のいたあたりに行ってみると、人の話し声が聞こえてきた。しばらくすると、黄色の雨具を付けた3人の登山者が現れた。そのうちのひとりが中山に話しかけた。
「雨が降っているのにこのルートを行かれるのは珍しいですね。ここはよく迷うんですよ。でもここからあとはマーカーをたどって行けば大丈夫です。へえ、これから上高地までですか。急ぎすぎて転ばないようにしてくださいよ」
「ありがとう」

中山が上高地についたのは午後6時を回っていた。あたりはほの暗く、登山者や観光客の姿はまばらだった。タクシーで松本駅に向かう途中、タクシーの女性運転手から名刺をもらい、上高地までの送迎をさせていただくので、いつでも電話してくださいと言われたが、中山は槍・穂高の過酷な登山をもう一度することはないだろうと思った。