プチ小説「いちびりのおっさんのぷち話 社会への還元を考える編」

わしがちいこい頃は近所の同じくらいの年の男の友だちと遊んだんやと思うが、全然、記憶に残っとらん。その時の情景も浮かばず、何をしとったかも覚えとらん。近所の子と遊んだという記憶は何にも残っとらんが、習字を習うたけど全然、字がうまくならんかったことやそろばん教室に3年まじめに通うたけど3級止まりやったことはよう覚えとる。習字の先生が赤い墨汁で訂正したり、そろばん教室でちいこい長机に3人並んで正座して座り、1時間ほどそろばんの珠をはじいていたのは今でもよう覚えとる。小六と中一の時にわしは塾に通っとったが、この時の拘束された時間のことが夢で再現されてうんざりすることも屡々あるんやが、そのせいかこの塾のことはよう覚えとる。その反面、親が野放しにしてくれた、高校時代のことは写真部に所属して撮影会に行ったこと以外は、余り記憶に残っとらん。これという目標もなく、テレビばかりを見ていたからかもしれん。ほんま野球観戦とB級映画は時間を浪費するのにはもってこいや。毎日のように午後9時まで野球観戦をして、そのあと映画を見て、わしの計画性のないしまりのない高校時代は終わってしもうたという気がする。そうしてわしは長い浪人生活に入るわけやが、1年半程して、自由にのんびりやるということが何も生み出さず、かえってそうして努力を怠ることが何の役にも立たず将来を暗くさせるということに気づき始めた。それから少しは計画的に精進したのやが、スタートが遅かったので、今でも苦労しとる。わしと同じような人生を歩んできた船場も成人式は恥ずかしくて出席できず、家の炬燵でひとり安酒を飲んでたと言うとった。その船場もそれから1年ほどして大学にうかり、今は地道に頑張っとるんやが、就職してしばらくして、英語やスペイン語の教材(リンガフォン)を買うて毎日のように机に向かっていたのと今を比較すると努力を怠っとるような、野放しになっとるような気がする。そこにおるから、いっぺんかましたろ。おい、船場。はいはい、にいさん何ですか。お前、心を入れかえて、大学時代は勉学に励み、就職してしばらくは語学の勉強に励んどったのに、どないしたんや。ど、どないしたと言われても、私はどうさせていただいたらよろしいですか。お前は最近はホームページを始めよったからか、いろんな道楽に手を出しとる。登山、お寺巡りをやめたと思ったら、今度はクラリネット演奏やジョギングに精を出しとる。実用的な語学をやるとか、西洋文学の研究を深めるとか、もっと自分を高めるために目標を持って行動したらどないや。そやないと40代までの貯金がすってんてんになってしまうぞ。にいさんのおっしゃるとおりですけど、蓄えるばかりで、使わないでいると、宝の持ち腐れですわ。なんやとー、そらどういうことや。わしが、そうやったんか、すんまへんなというような説明をやってみーーいぃぃぃい!実は、年4回東京の名曲喫茶ヴィオロンで開催しているLPレコードコンサートは、今まで蓄えたクラシックの知識を自分のコレクションのレコードを聴いていただきながら披露するというものです。『こんにちは、ディケンズ先生』は、西洋文学、なかんづくディケンズの小説の素晴らしさを知ってもらい、活字離れを少しでも抑止できるようにと願って刊行しました。ほう、ほんだら、クラリネットと10キロ走はどうなんじゃ。にいさんはクラリネット日誌を読まはったことはありますか。あそこには、クラリネットのレッスンをこうして受けるようになった。クラリネットの基本的な吹き方はこうするんですよとか、年1回の発表会はこうしてレッスンで練習するとか、楽器を始めるにあたり参考になるようなことを書いています。10キロ走も、これから始める人のお役に立てばと思い、その情報を掲載しています。そうやったんか、すんまへんな。ほやけど、自分のために余りならんのに、お金をかけてようやるな。まあ、そう考えるのが普通でしょうが、人に楽しいものを提供して、どこかで知らない人から、あんたのホームページ見とるでと言われたり、LPレコードコンサートで突然、若い人から握手を求められたりしたら(これは第59回LPレコードコンサートで実際にあったんですよ)、それはやっていてよかったということになるんじゃないでしょうか。私の熱望は、もっとディケンズやクラシック音楽が身近になるものを提供して、その人の人生を励ましたり応援できたらいいなということです。ディケンズの小説やクラシック音楽にはそういう人を勇気づけたり、インスピレーションを喚起する力が秘められていると考えています。そうか、船場がそれほど頑張っとるんやったら、同世代のわしも頑張ろ。