第25回高槻シティハーフマラソンに参加して
幼少の頃から走るのが苦手で、高校時代は長距離走ではいつでも最後尾にいた私がなぜ高槻シティハーフマラソン(10キロ)に出ることになったか。まず、そのことからお話しようと思います。
現在、57才の私は、2014年の夏頃から五十肩(肩関節周囲園)に悩まされるようになり半年ほどで一旦治まりましたが、2015年の秋に再発しました。最初の時と同じようにリハビリを受けていたら、半年で治ったのかもしれませんが、公私共に忙しくて放置したため、右肩がほとんど上がらなくなってしまいました。余りにも痛みが激しく、少しでも手をあげると涙が滲むほどでした。すぐに効果が出るものがはないかと考え、思い当たったのがジョギングでした。
40代半ばから50代はじめまで、槍ヶ岳や北穂高岳に登ったことがある私は、脚力もつき長距離を走ることに抵抗はなくなっていました。それですぐに通信販売で、ジャージ上下、短パン、靴を購入し、2015年12月の最初の日曜日に10キロほど走ることに決めました。私が住む高槻市から枚方大橋を渡って、淀川添いを走り、京阪枚方市駅を折り返し帰って来るというコースでした。
およそ13キロのこのコースを週に1回(土曜日か日曜日)走ることにしました。最初は肩の疼痛を堪えながら走っていましたが、2ヶ月ほど走ると少しではありますが痛みがなくなり、走ることを続けようという気持になりました。6月に入ると休日が雨ということが多くなり、7月、8月は暑くて、とても走る気になりませんでした。それでも9月からはほぼ毎週ジョギングをするようになり、自宅から枚方市駅までの往復をずっと走り続けることができるようになりました。
それからしばらくして、ランナーズという雑誌を購入すると高槻シティハーフマラソンの記事が出ていました。10キロは制限時間が1時間30分、ハーフマラソンは制限時間が2時間35分と書かれてありました。いつも13キロを1時間55分くらいで走るので、電卓で計算すると1時間30分で10キロを走ることが可能であることがわかりました。それで早速、参加することに決めました。
それからは毎週1度欠かさず走るようにし、走る時は休憩を取らずに少しでも記録が更新されるようにと頑張りました。13キロを1時間45分まで短縮できましたが、寒くなって来たので余り無理をしないことにしました。年末年始は、12月30日と1月1日に走りましたが、1月に入ってからは週1回だけ走りました。大会の前日もいつものように13キロ走りました。
そうしていよいよ大会当日です。私はほぼ毎日、頭を上げるだけの背筋運動を1000〜1500するのですが、この日は午前6時に起きて、5000回しました(1度に500回を4分間ほどでします)。そうしていなり寿司5ヶとカップ麺のそばを朝食として食べ、午前9時20分に自宅を出ました。午前10時40分にスタート、30分前には受付を済ませてくださいということでしたが、受付を済ませて荷物を指定の場所に置くとまだ40分ほど時間がありました。
午前10時から開会式が始まり、来賓の方のあいさつやゲストランナーの紹介がありましたが、私はスタート地点の写真を撮ったり、会場の様子を目に焼き付けたりしていました。2.7キロ、5キロ、10キロ、ハーフマラソンに別れて走りますが、10キロとハーフマラスンはさらにランク別に並びました。10キロの場合は、40分以内、50分以内、1時間以内、1時間10分以内、完走を目指す人に分かれていましたので、私は迷わず、完走を目指す人のところに並びました。
この日は、朝から曇り空で、スタートの頃にはぽつりぽつりと雨が降り出しました。ブラスバンドの演奏等で盛り上がって来ましたが、やはり曇天で雨が降り出すと心も曇りがちだった気がします。それでもスタートの合図が鳴ると、何か面白いことがあるのではと期待しながら走り出しました。10キロだけで1800人すべてで8000人のランナーが走るのですから、最初から全速力で走り出すことはできません。1キロ位行ったところでようやく追い抜くくらいのスペースができました。
私は何度も長距離を走っているので、自分のことは弁えていました。それで、ある程度みんなについて行き、折り返しの頃にどう走るか決めることにしました。はじめてのコースで5キロの表示が待ち遠しかったのですが、5キロの少し手前で時計を見ると、35分でした。私は1時間15分が目標でしたので、無理をせず、このままのペースで走りつづけて、とにかく確実にゴールしようと思いました。
5キロ地点からゴールまでは右側をハーフマラソンのランナー、左側を10キロのランナーが走りましたが、ハーフマラソンのランナーが猛スピードで駆けて行くので、道幅が狭くなって少しペースダウンしたように思います。6キロのところ(けやきの郷)でブラスバンドの演奏と給水所がありましたが、そのまま走り抜けました。ここを通過する際にハーフマラソンのランナーと手が接触したのも、その後の走りに少し影響した気もします。
第三中学の辺りからゴールは1週間前に下見をしていたので、安心して少しスピードを上げて走りました。そうしてゴール近くに来ると、3度立ち止まり3枚写真を撮りました。ゴールでは誰かが私のゴールの瞬間の写真を撮ってくれるわけではないので、そのまま走り抜けました。ゴールに入るとIDチップを係員の方が取り外され、完走証をもらうよう言われました。完走証を発行するテントはそこから200メートルほど離れた。スタートした高槻市立陸上競技場の中にありました。そこに行くまでにスポーツドリンクやバナナが配られました。私は思わず、お腹空いたーと言って、2口でバナナを食べてしまいました。
遠くで表彰式のアナウンスが流れているのを他人事のように聞きながら、完走証をもらうために並んでいると完走証をプリントアウトして手渡している方が前の女性に、おめでとうございます。あなたはハーフマラソン◯代の部2位ですねと言われました。私はどうなんだろうと、完走証を見てみましたが、参加種目 10km N 男子50〜59歳の部 184位(申込者 224人) 記録 1時間13分23秒 ネットタイム 1時間12分07秒 と印刷されていました。こちらもすばやく計算して、ずっと同じペースで最後まで走ることができれば、ハーフマラソンを制限時間内(2時間35分)で走れるなと思いました。
そういうわけで、初めての高槻シティハーフマラスンはそれなりの成果があったと思っています。2、3年この大会の10キロかハーフマラソンに出て、余裕が出来たら、他の場所で開催される大会に出ようと思います。そのためには20キロを走り続けられる体力をつけないと駄目だと思います。まずは、月に1度くらいひらパー(枚方パーク)まで足をのばして20キロを走るようにしようと思っています。