プチ小説「耳に馴染んだ懐かしい音10」

二郎は、森下さんのおばちゃんから、久しぶりに会いたいと連絡をもらい、河原町の喫茶店で会うことをにした。阪急河原町駅の改札口で待ち合わせることにしたが、この前に会った時と違って、一目見て森下さんのおばちゃんとわかった。
「おばちゃん、お久しぶりです。お元気そうで何よりです」
「まあ、どうしてわかるの。私が元気だということが」
「一目見てわかりましたし、話してみて確信しました」

「あなたの言う通り、最近、調子がいいの。それでクラリネットを再開してすぐに発表会に出ることにしたの。このことは前に会った時に話したわね」
「ええ、それでこの前ぼくが提案したエーゲ海の真珠をされたのですか」
「慌てないで。順序立てて話すから、とりあえず、そこの喫茶店に入りましょ」

「へえ、そうなんですか。今まで、一緒にやって来られたメンバーとはされなかったのですか」
「そうなのよ。私が不在にしていた半年の間に残りの2人が仕事が忙しくなって、別の時間帯に移ったり、退会されたの」
「それじゃあ、発表会はひとりで演奏されたのですか」
「まさか、あがり症の私をひとりにさせないで。ふふふ。私が復帰した時に、以前同じ曜日のクラスでされていた男性が戻って来られて、一緒にすることになったの」
「でも、いままで5人以上で演奏されていたのに、2人というのはさみしいですね」
「いいえ、先生も入られて、ピアノ伴奏も入ったので、合計4名で発表会は演奏したわ」
「そうなんですね。で、エーゲ海の真珠だけを演奏したんですか」
「先生から提案があって、好きな曲を一つずつ演奏することにしたの」
「その男性は何をしたいと言われたのですか」
「その方は大学の頃にブラスバンド部に入られていて、その時にうまく演奏できなかったワーグナーの曲をやりたいと言われたの」
「タンホイザー序曲とかローエングリンの結婚行進曲ですか」
「ローエングリンのエルザの大聖堂への行列って曲なの」
「知らないなあ」
「おばさんもそうだったけれど、先生が編曲された楽譜で練習を始めるととてもいい曲で」
「それはよかったですね。エーゲ海の真珠の方はどうでした」
「こちらも3人で演奏するよう先生が編曲されたんだけれど、冒頭の4小節の前奏の後、私のソロがあったので、とても緊張したわ」
「ピアノ伴奏が入ったということですが、いつ4人で練習されたんですか」
「発表会が1月29日にあったんだけど、年開けてすぐと発表会の直前のレッスンの時に伴奏をするピアノの先生は入られたわ」
「それで本番はどうでしたか」
「私はいつも思っているの。発表会直前まで一所懸命練習して、それでもうまく行かなかったら、仕方がないと」
「じゃあ、うまく行かなかったんですか」
「たくさん間違えたし、ピッピッという異音がしばしば鳴ったわ。それでも最後まで途切れることなく演奏で来たわ。先生は、今までで一番良かったんじゃないかと言われていたわ」
「じゃあ、よかったじゃないですか」
「いえいえ、エーゲ海の真珠は指が動かなくて、余りいい出来とは言えないわ。でも人前で楽しく演奏できたから」
「そうですよ。いい思い出になったんだったら、また来年も、いや、ずっと続けてほしいな」
「そう、そう思うの。そこで気が早いかもしれないけど、次に何をしようかと思っているの。二郎君、相談に乗ってくれない」
「ははは、もちろんいいですよ」