プチ小説「いちびりのおっさんのぷち話 世界の国からコンニチハ編」
わしがちいこい頃に大阪で万国博覧会ちゅーのがあって、世界から大勢の人が集まったもんやった。当時の日本は中国と正式な国交がなかったし、韓国とも今のように親密な国交関係でなかったんや。それでアメリカやヨーロッパの国々がパビリオンや舞台で思い思いの自己主張をしとったちゅー記憶が強く残っとる。世界に興味を持ち始めた頃に万博があったことが、わしが西洋かぶれになった理由なんかもしれん。7回ほど万博に行ったと記憶しとるが、アメリカ館に展示されている月の石を見るために3時間ほど並んだことやソ連館に入館するために2時間並んだことが鮮明に記憶に残っとるが、イギリス館、フランス館、ドイツ館の記憶は余り残っとらん。それでも文芸の国、芸術の国、音楽の国というのがわしの脳みそのどこかに刻み付けられたみたいで、文学と言えば英米文学、絵画といえば印象派、音楽と言えばバッハ、ベートーヴェンが生まれ育ったドイツというのが第一選択となったんや。そうは言うても、ちいこい頃の情報量は知れてるから、ガリバーやロビンソン・クルーソをいつか読んでみたいとか、ルノワールの絵画展に行ってみたいとか、第九のコンサートに行ってみたいと漠然と考えとったということぐらいや。それでも浪人時代に『ガリバー旅行記』の文庫本を読んだり、ルノワール展に行ったり、第九のレコードを通して聴いてみたら、足掛かりができて、モームやディケンズの本を読むようになったし、他の印象派の画家の展覧会に行くようになったり、他の西洋音楽の作曲家の作品を聴くようになった。一つのことにとことんのめり込むちゅーことがないわしはアメリカそれから中国や東欧の文学を読んでみたり、イギリス絵画の展覧会に行ったり、近代フランス音楽に興味を持ったりしたことはあったんやが、やっぱり文学はイギリス、絵画はフランス、音楽はドイツとオーストリアやった。わしはこれら3つの芸術を探究し、それを足掛かりにしてイギリス、フランス、ドイツという国を知ろうとして来たんやが、本当のところは実際にその国を訪問して人と交流することでもっと深い探究ができるのかもしれん。船場は大学を卒業してしばらくは英語やスペイン語の教材を買うて勉強しとったらしいが、海外に行ったことは一度もないらしい。『こんにちは、ディケンズ先生』を出版したくらいやから、少しは英米文学を読んどるんやろけど、印象派やクラシック音楽のことを知っとるんか訊いてみたろ。おい、船場、お前、絵画とかクラシック音楽に興味持っとるんか。はいはい、にいさん、そら絵画はあまり知らんのですけど、セザンヌやゴーギャンやアンリ・ルソーの展覧会があったら行きたいと思っとります。クラシック音楽は浪人時代から集めたレコードでLPレコードコンサートをしとりますから、少しは詳しいですよ。そうかほたら話は変わるんやが、お前、万博に行ったことはあるんか。えらい昔のはなしですねー。そら当時、会場と同一市町村に住んどりましたから、何回か行きましたよ。三菱、三井、住友、東芝、大阪ガス、松下、三洋、日立なんかのパビリオンは見ごたえがありましたが、何度も行ったのは太陽の塔や日本館ですね。それからもちろん月の石も見ましたよ。他には見いひんかったんか。兄さんが言いたいことはようわかるんですが、当時わたしは小学校5年生でしたから、イギリス文学や印象派やバッハには興味はなかったんです。ただパビリオンで案内をしている外国人が、コンニチハとか、ハジメマシテとか、ニコニコして言うのを聞いて外国人に対して良い印象を残したということくらいです。それから私の場合、人と接して何かを生み出すということより、本から知識を得ることの方が向いていると思うようになったので、語学は今はしていません。今はインターナショナルと言えば、西洋の一部の国を指すのではなく、アジア、中東、中南米、アフリカだけでなく太平洋、大西洋、インド洋の小さな島国までも入ります。それらの国々の文化を知ることも必要ですが、まずは17世紀から20世紀にかけて築き上げられた西洋の文化を取り込んで、蓄えることから始めるのがよいと思います。何も新しいものが素晴らしいとは限らないのですから。わしも新しいものがええちゅーのはおかしいと思うんやが、不易と流行ちゅーのがあるから、そんなこと言うてて、あんた流行に乗り遅れんようにしいや。