プチ小説「たこちゃんの収集」

コレクション コレクシオーン ザムルンク というのは収集のことだけど、ぼくは高校を卒業して浪人生となってすぐにクラシック音楽のレコードの収集を始めたが、切手や鉱物の収集と違って今でも続いている。飽きっぽいぼくが今でも続けているのは、ただひたすら初聴きのレコードを追い求めたのではなかったからだろう。今から39年前に収集を始めたのだが、15年余りはレコード芸術誌及びステレオ芸術誌の評論を読んだり推薦盤の特集記事を読んで、欲しくなったら現役盤であればすぐに購入し廃盤であれば復刻されるのを首を長くして待ったものだった。20代の頃は給料が出たら、その夕方は阪急32番街のDAIGAや堂島のワルツ堂に足を伸ばしたものだった。1994年にレコードマップという中古レコード店を紹介する本を書店で見つけた時には、日本盤の音質に物足りなさを感じていたぼくはすぐにそれを購入してそこに紹介されてあった近畿圏内の中古レコード店(中古レコード店には使い古しの日本盤がたくさんあるが、外国盤のプレミアム盤もしばしば見つかる)を回り始めたのだった。最初の頃は京都のラ・ヴォーチェや大阪の中古レコード店を回っていたが、その年の年末には東京にも進出し、東京23区の中古レコード店をあちこち回った記憶がある。レコードの場合、CDと違って再生装置(カートリッジも含めて)の選択肢、組み合わせが数限りなくあり、予算と相談して自分好みの音に再生できるという魅力がある。ぼくも最初はセットのステレオを購入したが、アンプから始まって、プレーヤー、スピーカーと順番に購入して行ったものだった。そうして一通りの装置が揃ったところで、オリジナル盤を頂点とする外国盤により良い音を求めたのだった。そういうことなので最初の15年の間に購入した日本盤でお気に入りのレコードは外国盤への買い替えを続けてきた。主だったところは購入し、一昨年末にオイストラフのブラームスのヴァイオリン・ソナタ第1番「雨の歌」のメロディア盤を購入した時には、あとはストコフスキー指揮のチャイコフスキー交響曲第5番だけだなと思っていた。この前のゴールデンウィークに時間があったので、久しぶりに梅田のストレートレコードに行ったところ、このレコードの外国盤(LONDON)があったのだった。長年の苦労(???)が報われたという反面、これから何を追い求めたらいいんだろうという気持になった。今でも購入したいレコードはいくらでもあるが、日本盤しか手元にないが、いつかは外国盤で聴きたいと熱望していたレコードがなくなってしまったので、ぼくのレコード収集のひとつの時代が終わってしまったのかなと思ったりするんだ。駅前で客待ちをしているスキンヘッドのタクシー運転手は長年探し続けている収集品というものがあるんだろうか。そこにいるから訊いてみよう。「こんにちは」「オウ ブエノスディアス セプエデデシールロミスモレスペクトアクアールキエールペルソナ」「そうですよね」「そら、あんた、いっぺん商店街の福引で1等が当たったら、その次は同じ日に2回1等が当たってほしいちゅーのは、人情や。来年の運勢を年末の福引にかける福引ファンが抱く見果てぬ夢や」「ちょっと違うと思うんですけど。それでもし1等が2度当たったら、花田さんは福引をやめるんですか」「それはないなあ。わしにとって福引は空気のようなもので、のうなったら酸欠状態になって苦しくなると思うわ。まあ、一等賞を2回取ったとしても、それはめでたいことがあったから、これからも続けよう。そういうことやな」「そうなんですね。ところで花田さんは収集はされないのですか」「そら、船場はんみたいにレコード7〜800枚収納できる棚、CDや本の棚が仰山あるんやったら、収集もできるかもしれんけど、家は三畳と四畳半一間ずつやから、居間と寝室だけや。音楽を聴くのもCDラジカセや。そやからなー、わしに関係ない話はこれくらいにして、わしと一緒にうさぎとびとリアカーごっこせえへんか」「いえいえ、ちょっと待ってください。別に大きな棚がなくても、収集はできるんじゃないですか」「そら、家族旅行で訪ねた土地の土産物なんかは記念に大切に取っとるけど、自分のために何かを買うてというのはあらへんでー。まあ、船場はんは独身であれこれ考えんでええから、無茶な収集もできるんかもしれんけどな。で、もう一回言うけど、うさぎとびとリアカーごっこ、せえへんか」「もちろん、やりまっせー」ツッコミが功を奏さなかったぼくはそう言うと、明るく鼻田さんのあとに続いたのだった。