プチ小説「たこちゃんの口笛」

ホイッスル シルビード ファイフェンというのは口笛のことだけど、ぼくは小さい頃から音楽に興味があった。それでいろんな曲を聞いたけど、歌ったり演奏したりというのはうまくできなかった。またピアノやギターを習うということもなかった。それで小さな声で口ずさんだりするくらいしかしなかったが、口笛に対する強い憧れがあった。技術的に深いものがあるのかもしれないが、楽器なしで(口だけで)音域が広く表情豊かな音を出すことができるのが魅力で、何とかうまくなりたいと思ったが叶わなかった。肺活量や歯並びというのが重要なのかもしれないが、それよりも重要なのは適正な音程で一定の時間吹き続けることで、2小節もまともに吹けないぼくには、いくら練習してもワンコーラスを通して吹くことはとても無理だろうと思った。それでも中学生の時にふたつのことがあって、口笛への憧れが再燃した。ひとつは、映画「荒野の用心棒」「夕日のガンマン」の中でエンリオ・モリコーネ作曲の口笛の曲が流れたことなんだ。クリント・イーストウッドもかっこよかったけれど、このテーマ曲が流れるたびにそれに合わせて口笛を吹き出したが、途中で諦めて悔しい思いをしたことを覚えている。もうひとつは当時午前3時からラジオ放送していた走れ歌謡曲のテーマ曲が口笛ジャック(Whistling Jack Smith)の口笛天国という曲で、この曲も口笛で吹きたいと憧れた曲だった。最近は、口笛が吹けても、音感、肺活量、リズム感が必要で、何より根気がなければ、人に聞かせるものではないことがよるわかったので、口笛を吹くことはなくなったが、高校生の頃によく歌ったフォークソングの一節を口笛で吹けたら、かっこいいだろとうな思うんだ。駅前で客待ちをしているスキンヘッドのタクシー運転手は、お得意の歌謡曲を口笛で吹くことなんかあるんだろうか、そこにいるから訊いてみよう。「こんにちは」「オウ ブエノスディアス ノポデーモスエントレガルノスエンバーノアラトリステサ」「そうですよね、悲しんでばかりいては、先に進まないですよね」「そうやねんけど、反省せんことには、同じことを繰り返すやろし、立ち止まって自分を見つめ直すというのも大事やで」「な、なんかいつもの鼻田さんらしくないですね」「そうか、わしはこれがふつうなんや。船場はんが面白いことばっかり言わはるから、つられてしもうて」「そうだったんですか」「そんな真剣な顔せんと、わしもたまにはまともなことを言わしてちょうだい」「わかりました。ところで鼻田さんは、口笛を吹くことはないんですか」「そうやなー、昔はよう吹いたな」「どんな時にですか」「そら女に振られて、まわりに誰もおらん寂しい道を歩いて帰るときなんかは...」「上を向いて歩こうとか」「そうそう、女に振られて、風がぴゅーぴゅー吹いている中、家路を急ぐときは...」「シューべルツの風とか」「そうやな、そんなところかな」「どちらも、レコードでは口笛が挿入されていますね。それを手本にされたのですか」「そうやなあ、そうかもしれんな。それよりか、最近の曲は、テンポが早かったり、明るい曲が多いから、口笛のイメージに合わんのとちゃうやろか。マカロニ・ウエスタン、永六輔さんの抒情的な曲、抒情的なフォークソングなんかは口笛にぴったりと思うんやが、最近、そんな感じの曲は聞いたことがないから、口笛の出番もなくなったんとちゃうんかなと思うんや。わしはまたそんな曲が出てきたら口笛を思いっきり吹いてみたいんやが、それまでにへたらんようにうさぎ跳びを続けるわ」と言って、上を向いて歩こうを吹きながら、うさぎ跳びをはじめたので、ぼくもあとに続いたのだった。