プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生317」
小川が京都から自宅に帰ると、午後8時を過ぎていた。玄関のチャイムを鳴らすと秋子が出てきた。
「あら、遅かったのね。明日も早朝出勤になるでしょうから、もう少し早いかと思っていたわ」
「そうだね。そうすればよかったんだけど、懐かしい友人と過ごしていると時がたつのを忘れてしまったんだ」
「そう、愉しく過ごされたのね。昨日は深美と会ったのね。深美から電話があったの。どうだった」
「夕ご飯待ってくれていたんだね。ごめん、ごめん。元気にしていたよ。ディケンズ先生の1ファンとしてディケンズの本を原書で読むと言っていたな。ピアノの練習もきちんとしていると言ってたよ」
「京都での学生生活を楽しんでいるのね。私たちがよく行った嵐山や円山公園はもう行ったのかしら」
「来年の桜の頃に訪れてみたいと言っていたよ。ところで最近、アンサンブルのことを聞かなかったけれど、そっちの方はどうなの」
「そうね、報告していなかったわね。これからも小川さんには司会なんかで助けてほしいけれど、わたしたちができることは自分でしようと思っているの。ベンジャミンさんも助言はしてくれるけれど、何回か練習しないとベンジャミンさんと一緒のステージに立つことは難しいと思うわ。まあ、わたしも頑張っているから」
「ぼくがしなければならないことは...」
「もちろん、お仕事が第1よ。ふふふ。第2がいろんな趣味かしら。趣味でいろんな絆ができたことだし」
「音楽は楽しませてもらって、友人と絆もできているということは事実だな。それから小説も。アユミさんとの約束、小説家になるというのは今のところ、実現にはほど遠いけれど」
「ふふふ、あんまり忙しくなると、ディケンズ先生と会う機会がますます少なくなるかもね」
「今のところ、ディケンズ先生関連と言うと、歌劇「大いなる遺産」の台本を仕上げるということになるんだが、こちらはこの前、依頼主の大川さんに状況を話した。それからディケンズ先生からも助力を得ることになったんだよ」
「???」
「もう遅いから話だけにするけれど、ディケンズ先生の長編小説の主人公がぼくの目の前に現れて、指導してくれることになっている」
「まあ」
「実は、昨日、深美にも会ってもらったんだ」
「ふふふ、それならわたしも是非会いたいわ。今すぐに」
「そうか、秋子さんがそう言うなら。ちょっと待ってね。これこれ、これをこういう風に膨らませてと」
「なるほど、ピクウィック氏なのね」
「さすが、ディケンズを愛する女性だね」
「こんにちは」
「まあ、あなた話せるのね。こんにちは」
「ああ、秋子さんですね。深美ちゃんもだけれど、そのお母さんも美しいですね」
「まあお上手ね。これからもよろしくね」