プチ小説「たこちゃんのクラリネット」
クラリネット クラリネッテ クラリネッテ というのはクラリネットのことだけれど、ぼくが○代の大代になってから始めたクラリネットも、はや8年が経過した。最初はその音色に魅かれて、自分で少しでも吹けたらいいなと思い始めたのだった。最初は、音が出せるのかと心配したけれど、音が無事出せるようになると、「オーラ・リー」(ラヴ・ミー・テンダー)も吹け、「アマポーラ」や「雨に歌えば」も何とかなり、最初の発表会では、ホルストの「惑星」から木星ともう一曲を吹いたのだった。人前で何かをするということはいつも緊張するけれど、最初の発表会のホールは博物館の催し物会場のようなところで、音の響きは良かったんだが、ステージに上がっているという感じがなく、気軽に吹けたのだった。2度目の発表会は京都のシルクホールというところで、立派なホールだったし、同じパートの人が突然欠席して、緊張の極みを体験したけど、それでも何とかやり終えた。でも4年目の発表会はひどいものだった。シンコペーティッド・クロック(アンダーソン)とモーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジーク第2楽章をしたけれど、シンコは曲の速さについて行けず、アイネ・クライネは縁の下の力持ちの役割のフォースのパートを受け持ったが、リズム合わず一緒に吹いた女性に迷惑を掛けてしまった。せっかく一緒にレッスンを受けている男性と特訓をしてから発表会に出たのに、最悪だった。それでも次の年の発表会は好きな曲を十分に練習して臨んだので、満足できる結果となった。その年もその男性と特訓をして発表会に出たが、ドヴォルザークのユモレスクもボギー大佐(クワイ河マーチ)も上出来だった。このときにぼくは悟りを開いたのだが、やはり発表会まで3、4ヶ月は同じ曲の練習ばかりをするのだから、少なくとも1曲は自分が好きな曲を入れてもらおうと、シンコペーティッド・クロックと題名を聞くだけで委縮してしまうぼくは誓ったのだった。先生もぼくの希望を入れてくださり、6年目は愛の挨拶、7年目はアンダンテ・カンターヴィレ(チャイコフスキー)、8年目はエーゲ海の真珠を発表会で演奏することができたのだった。今年は、レハールの歌劇「ほほえみの国」から「君はわが心」かベルリーニの歌劇「ノルマ」から「清らかな女神よ」をやりたいですと先生と一緒にレッスンを受けている男性に希望を出しているけれど、果たしてどうなるだろうか。駅前で客待ちをしているスキンヘッドのタクシー運転手は、合唱団に入って、第九を歌ったと言っていたけれど、嫌いな曲をやらなければならなくなった時にどうするのだろう。そこにいるから訊いてみよう。「こんにちは」「オウ ブエノスディアス ノウプエドオリヴィダルラ」「えっ、誰のことですか」「そら、合唱でよく一緒になる女の子のことや」「よく一緒になるということは、いつも一緒というわけではないんですか」「そら、ちゃいまっせー。一曲一曲、合唱のメンバーは変わるもんや。まあコアになる団員はおるやろけど、わしらは曲に応じて出たり出んかったりやな」「曲が嫌いで出ないとかはないんですか」「まあ、それは船場はん独自の考え方やろな。普通、音楽をやろうちゅー人は、自分の音(声、歌)を聞いてもらえるということに喜びを感じるもんなんや。例えバッハのマタイ受難曲、モーツァルトのレクイエム、ブラームスのドイツ・レクイエムのような誰でもええ曲やなーと思う曲やのうて、親しみやすい旋律が出て来んでも、大概の音楽家や音楽好きは自分の声や楽器の音が聴衆に届けられるということに喜びを感じるんや」「そうですか。でもぼくは三ヶ月もの間、好きでない曲を練習することはできないなあ」「多分、船場はんは自分の技量が及ばんと思ったら、あっさり手を引きよるんや。それでは進歩というのは、ないと思うで」「うーーーん、これは痛いところをつかれましたね」「そうやろ、あんたの趣味は、そういうところで留まっとるから、メジャーになれへんねや。まっ、本も写真も音楽もそんなところとちゃうんかな」「でも、自己主張が叶うかや一つのことを極められるかどうかわからないのに、貴重な時間を浪費するというのはどうでしょう。ぼくはチャンスを与えられたその時には、時間もお金も注ぎ込んで頑張るつもりなんですよ」「そうか、機が熟するのを待つというわけやな。よし、そんなら、その時が来るまで...」「もちろん、うさぎ跳びとリアカーごっこは外せません」