プチ小説「たこちゃんのコンサート」

コンサート コンシエルト コンツェルト というのはコンサートのことだけれど、ぼくがホームページの開設を機に始めた、東京都杉並区阿佐ヶ谷の名曲喫茶ヴィオロンでのLPレコードコンサートも今月開催されると62回目となる。多くの田舎者(もちろんぼくもその一人なんだが)のようにぼくも大学生の頃から東京という大都会に興味を持ち、今から、20年前には年に4回は訪れるようになった。と言っても、レコード蒐集と名曲喫茶とジャズ喫茶しか興味がなかったぼくは、御茶ノ水、渋谷、新宿なんかの中古レコード店と渋谷の名曲喫茶ライオンを順番に回って帰るだけだった。けれど1997年2月号のSOUND PALという雑誌で、名曲喫茶ヴィオロンの記事を見て、一度訪問してみようと思ったのだった。なぜか最初の2回はぼくの勘違いで休日の日に行ったのだが、3度目には訪問でき、マスターとじっくり話ができた。持参したレコードもいくつか掛けてもらった。その後も何度か訪れ、持参したレコードを掛けてもらっていたが、ある日、入口のところに置いてあるチラシを見て、自分もレコードコンサートをして、自分の好きなクラシック音楽のレコードを聴いてもらえたらいいなと思ったのだった。早速そのことをマスターに話したところ、マスターは、空いている時にしてもらっていいですが、次のことをしてください。1.曲名、演奏家、レコード番号が入ったチラシをつくること 2.解説を入れること 3.チャージ料金1000円を取り、マスターと折半する(第4回で終わり)と言われた。チラシを作り、コンサートの少し前の日から入口のところにチラシを置いてもらったが、最初のLPレコードコンサートのお客さんは5、6人だった。第2回目は、ぼくの大好きなレオポルド・ウラッハ(クラリネット)の特集だったが、地味な内容だったためか、お客さんは3人だった。頭を下げて最後までいてもらい、1組のカップルと60才位の男性には今でも感謝している。あまりにお客さんが少なかったので、LPレコードコンサートが終わってから、マスターにこれからも続けてよいか、お伺いを立てたものだった。マスターは最初は真剣な顔をされていたが、しばらくして笑顔を見せられ、続けていいですよと言われたのだった。それからは、自分の好みの曲を聴いてもらうのではなく、人気のある演奏家のレコードを聴いていただくということにしたのだった。それにしても2回目に来られた60才位の男性は1回目の時も来てくださり、その時は同僚の方と一緒だった。その後もレコードコンサート以外の時もお会いしたが、ベームの特集(第24回2008年)をするまでは、その方が、ドイツ語の有名な先生で、翻訳も多数出されていることがわからず、失礼なことばかりをしていた。最後は呆れておられたようだが、もう一度お会いできたら、きちんとお詫びの言葉を述べたいと思っている。第5回目からはチャージ料金を取らなくなったため、少ない時でも10人、多い時は25人近く来られるようになった。いろんな人と趣味を通じて語り合えるのが楽しく、第50回、第60回もあっと言う間に過ぎたが、第100回まで続けたいと思っている。ブレンデル、ポリーニ、パールマン、ショルティ、ヨッフム、クリュイタンスなどまだ特集を組んでいない巨匠も多く、特集が組めるだけのレコードを揃えて、一回一回のLPレコードコンサートを充実したものにしたい。そのためにはしっかり中古レコード漁りをしなければならないと思っている。駅前で客待ちをしているスキンヘッドのタクシー運転手は、好きなアーチストがいるのだろうか。そこにいるから訊いてみよう。「こんにちは」「オウ ブエノスディアス  エセオンブレエスウンイムベーシルケノティエネレメディオ」「えっ、そ、それはもしかしてぼくのことですか」「そうやでー、あんた、東京ちゅーところは有名な人がそこら中にいっぱいおるんや。大学の数も圧倒的に多い。そやからなー、まさか、ここに偉い人はこーへんやろと思うていても、意外と来てはるんや。そやからどこに行っても、粗相せんように気いつけるんやな」「わかりました。ところで鼻田さんは好きなアーチストはいますか」「わしは第九の合唱で歌うけど、特定の演奏家に興味はないなあ。アーチストを広い意味で取るなら、昔、プロレスで活躍しとった初代タイガーマスクは一時期夢中になったもんや。あの人の技は芸術品や。そのDVDが手に入ったんで(もちろん中古やが)、最近はよう見とる」「是非、見せてください」「ええで、でも、その前に初代タイガーマスクに笑われんように、うさぎ跳びとリヤカーごっこをしとこか」「わかりました」