プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生319」
小川はベンジャミンと会った時から、いつもと様子が違っていると漠然と感じていた。それを感じたのかベンジャミンが、釈明した。
「ワタシはワカイ頃からヴァイオリンをナリワイとしてきたんヤガ、エンソウカトシテハ、30サイデクギリヲツケテ、教えるガワにまわった。それでもアユミのピアノの音を聴いて、もう一度、演奏活動をヤッテミタイと思うたんや。そしたらヤボッタイかっこできんようになってな」
「それでブランドのスーツを着ておられるんですね。髪の毛も整っていますし」
「まあオーディエンスの前に立つんやから、ミットモナイ格好はデキンワ」
「ところで他の話題はなんですか」
「そら、アキコのアンサンブルのことや。定期的に練習に参加しとったができんようになった」
「ははは、それくらいはぼくも知っています。なので秋子さんはたまにベンジャミンさんに入ってもらえたらうれしいと」
「ワカリマシタ。アンサンブルのリーダーはアキコにまかしとる。アキコから要請があったら、すぐに参加させてモライマッサ」
「他にはありませんか」
「まあ、あるとしたら、アユミと東京で演奏するときには、キテネということぐらいやね」
「ぼ、ぼくからひとつあるのですが、いいですか」
「なんやろ、早くイッテチョウダイ」
小川はズボンのポケットからピクウィック人形を取り出して、息を吹き込まない状態でベンジャミンに見せた。
ベンジャミンはにっこり笑って、
「オマエもモッテンノカ。ワタシモモットルけど、オマエが出しとる間は出せん」
「???」
「ゴム風船ミタイナ人形さんに息を吹き込んだらええだけのように思えるんやが、ピクウィックの心はひとつしかないんや。ソヤカラネ、ディケンズ愛好家のポケットから取り出すことはできるけれど、同じ場所で2体のピクウィック人形が存在するということはアリマセン」
「そしたらぼくがこれをポケットに戻すと」
「トウゼン、こちらから取り出せマース。ホラ」
「じゃあ、ベンジャミンさんがポケットにしまうと、ほんとだ、ここにある」
「他にも、この人形はニホンゴしか話しません。それはオマエが孤立しないためだと聞いています」
「うーん、そうなのか。ぼくはこの人形を歌劇「大いなる遺産」の台本を書く時に役立てるようにと言われているのです。歌がうまいということで」
「まあ、いろいろ役割を託されていると思いますが、ワタシは2つのタイセツナ役割があると思うのです」
「ひとつはまとめ役ですか」
「ソノトオリ。やはりディケンズ本人は夢の中しか存在できないのですから、俗世と自分を繋いでくれる誰かが必要なワケです」
「で、もうひとつは」
「それはコイツ自身が有名になることナンよ」
「それはわかるような気がしますね。『大いなる遺産』のピップも『二都物語』のシドニー・カートンもデイヴィッド・コパフィールドも標準的な風貌ですし、イギリス紳士という感じがしますが、これといった特徴がありません。でもピクウィック氏なら、好感が持てる特徴がある風貌なので、ディケンズの長編小説の登場人物として売り出すまず最初の人物と言えば、ピクウィック氏となるでしょうね」