プチ小説「いちびりのおっさんのぷち話 発表会の翌日に10キロ走はちょっと編」

わしがちいこい頃はこまこいことは気にせんとすぐ寝てた。晩の8時から始まる歌番組が終わったら、明日に備えて床に入ったもんやった。ところが、小学校5年生の頃に万博があって、そのあたりから怪しくなってきよった。パビリオン巡りが終わって家に帰ってくると、午前0時位になってて、ラジオを付けたら、OBCでバチョンと行こうをやってたんや。それがもうえらい面白ろうて、わしは深夜放送に興味津々になってしもうたんや。ちゅーてもマイラジオがなかったから、本格的に聴き始めたのは、中学生になってからや。中学になってからは、ABCヤングリクエストをよう聴いた。キダタロー作曲のテーマ曲もよかったし、仁鶴頭のマッサージもよかったから夜更かししたもんやった。高校になってからは、近畿放送(KBS京都)の日本列島ズバリリクエストやった。水曜日、木曜日の高石ともやとナターシャセブンもよかったし、金曜日、土曜日の諸口あきらもよかった。浪人時代以降はそれどころやなくなって、深夜放送をほとんど聴かんようになったんやが、それでも深夜放送はわしの懐かしい思い出や。そんなんやから、中学、高校時代は睡眠4、5時間で授業に出たもんやった。中間試験や期末試験の頃はテストの勉強をすると両親に宣言して、朝の5時頃まで起きとった。もちろん深夜放送を聴きながらや。若い頃はそんな無理もできたんやが(無謀なこともできたんやが)、社会人になって仕事に差し障りが出るようになってからは、深夜放送をほとんど聴かんようになった。今から考えたら、高校時代に深夜までラジオを聴いとって、水泳や長距離走をようしたなあと思うんや。船場は来年1月21日の発表会に向けて頑張っとるらしいけど、なんでかわからんが、最近は高槻シティハーフマラソンの10キロ走に出るちゅー話はちっともしよらん。今年の年頭は、1月22日の10キロ走と1月29日の発表会の両方に出たちゅーて自慢しとったんやが。船場を呼んで、10キロ走に出ーへん理由(ワケ)を訊かんといかん。おーい、船場おるかー。はいはい、にいさん。高槻シティハーフマラソンになんで出ーへんのかということですな。そうや、はよ話せ。それはですね。れんちゃんやからなんです。1月21日に発表会があって、1月22日に高槻シティハーフマラソンが開催されるからなんです。なんやとー、お前はれんちゃんやからちゅーて、一生に一度のチャンスを逃すちゅーのかーーーっ。そんな大袈裟な。長距離走は体力をつけるためにやっているだけで、記録や連続出場は狙っていません。そりゃー、ハーフマラソンやフルマラソンにも出たいですが、それは先のお楽しみでいいと思っています。走るのに時間を割いて、クラリネットを練習する時間が減るのを避けたいところです。というのも、今度の発表会では、生徒はわたし一人、クラリネットの先生、ピアノの先生の3人で演奏するのですから、失敗しないようにしなければなりません。そやけど長距離走しとったら、体力も度胸もつくからやったほうがええと思うけどな。もちろん1週間に1回は難しいですが、月に3回くらいは土曜日の朝に京阪枚方市駅までの13キロを走ろうと思います。11月4日に初走りをしてきました。そうなんやな、わかった。ほたら、せいぜい発表会でええ演奏をして、先生を喜ばしたり。ええ、もちろんです。