プチ小説「こんにちは、ディケンズ先生324」
小川はディケンズ先生に窘められ、意気消沈していた。それでもディケンズ先生の口調は変わらなかった。
「ここは大切なところだから、妥協はできないんだ。だからしんどい話になるが聞いてほしい」
「わかりました」
「私の14の完成した長編小説では、同じ人物が別の小説に登場しない。これは登場人物が小説より有名になって、独り歩きしないようにとの配慮からだ。続編ができると小説の中身より、主人公の特に重要でもない行動に興味が行くからだ。私にとって登場人物は自分の小説を面白おかしく読んでもらうためのもので、興味深い、際立った性格の登場人物は不可欠なものだが、決してそれだけを独り歩きさせようとは思わない。私は自分が心血注いだ小説を多くの人に読んでもらいたいと思っているが、決してピクウィックだけが有名になってほしいと思ったことはない。小説全体の中でピクウィックを見てほしいんだ」
「先生が仰ることはよくわかりますが、先生の生誕200年をたくさんの方に祝っていただくなら、キャラクターだけを売り込むというのもありかと思うのですが」
「ブームが起きて、一時的に有名になるというのがいいことなのかどうか。私は既に『大いなる遺産』『二都物語』『クリスマス・キャロル』などで多くの愛読者を得ている。それは特に宣伝をしたわけでなく、本を愛する人が書店で私の著書を手に取って身銭を切って購入し、時間を割いて読んでくれたことの積み重ねなんだ。もちろん小川君のように図書館で私の小説を手にする人もいる。そうやって私の本を気に入ってくれた読者は、『オリヴァ―・ツイスト』『荒涼館』の新訳が出たら、もう一度読んでみようと思うだろう。そうして私の本の愛読者となってくれる。そのように私のことを評価してくれる人がいるからこそ、生誕200年となろうとしている今も私には多くのファンがいるのだ」
「そうですね。ファンがあってこそですよね」
「もちろん読者あってこそだが、その読者もなるべくなら小説のおおまかな内容を書店で手に取って読み(文庫本なら、裏表紙などに書かれてあるだろ)、わくわくした気持を最後まで持続させて読了したという人であってほしいんだ」
「なるほど、でもそれは不朽の名作がいくつかある先生だけが言えることで、若い作家はスポンサーに誰かがなってくれないかと、嗜好品や自動車やバイクをさりげなく小説に盛り込んだりしています」
「私も煙草やポンチ酒やプディングはさりげなく自分の小説に登場させている」
「そう、先生もスポンサーは必要だったわけです。でも、先生が仰ることはよくわかるので、ピクウィック氏にご登場いただくのは、本当に必要と感じた時だけにします」
「わかってくれたんだね。じゃあ、話題を変えることにしよう」
「どんなことですか」
「明日、小川君は秋子さん、ベンジャミンと高尾山に登ることになっていて、そこでピクウィックに指導を仰ぐわけだが、ここで私はひとつの罠を仕掛けている。それに動ぜず、落ち着いて行動すれば秋子さんとベンジャミンからの信頼を得ることになるだろう。頑張ってくれたまえ」
「ど、どんなことですか。ちょっとだけ教えてください。うんうん、なるほどそーなんですか」
「私は何も言っとらんよ。自分で冷静に解決すれば問題ないので、気楽にやったらいい」
「わかりました」