プチ小説「こんにちは、N先生10」
私は平成15年から8年間の間に7回槍・穂高登山を敢行し、その間トレーニングのため、琵琶湖の西側にある比良山系の武奈ヶ岳に何度も(毎年5月から7月の間に10回ほど)登ったのですが、最近は仕事や趣味や生活で忙しくなり体重もぐんと増えたので、年に一度行けるかどうかになりました。本日も3連休の中日を利用して(筋トレで1日、本番、1日はゆっくり休む)比良山に登りました。JR比良駅を出て、山へと向かい1時間40分ほどしてようやく青ガレに到着しました。そこから金糞峠までが急勾配が続き、一番苦しいところですが、金糞峠前の急勾配を登り始めた時に後ろから、聞き慣れた声が聞こえてきました。登山のウェアーに身を包んでおられましたが、いつもかけておられる茶色縁の眼鏡でN先生であることがわかりました。私は、こんなところでお会いしたというのも驚きでしたが、N先生がどちらかというとお腹が出ていたと記憶していたのですが、ウエストが70センチを切り胸囲が一回り大きくなったのを見たのは更なる驚きでした。先生は、いつものように笑顔で話されました。
「君が相川駅前の喫茶店に来なくなったから、前回は高槻市の芥川の堤防に現れたわけだが、あれからも私はジョギングは続けているんだ。続けていると何か目標が欲しくなったが、マラソン大会に出るより、君のホームページに書かれている槍・穂高登山というのをやってみたくなったのさ。それで昨年の5月からトレーニングのために、武奈ヶ岳に週末ごとに登っている。おかげで今までのズボンや背広は全部着られなくなってしまったよ。ゴールデンウィークに君がよく武奈ヶ岳に登るから、もしかして会えるかと思って今日ここに来たんだ」
「そうなんですか。最近はよく比良山に来られるのですね。ぼくなんか、仕事や執筆活動(ただ小説をホームページにアップロードしているだけですが)が忙しいので、山に行く時間がなくなったのですが、先生はこうして貴重な時間を登山に充てておられるのですね」
「50代後半から、体力が落ちてきたことは明らかだった。それで健康を取り戻そうと思っていたが、一昨年始めたジョギングがよい切っ掛けとなった。今では体力づくりのため山登りをしている。君は仕事が忙しくなり、執筆活動や親の世話で今までのように時間が使えなくなったとは言え、体力づくりを疎かにするというのはどうかと思うな」
「でも先生、小説というのは創作意欲があるときでなければおいそれと書けるものではないんです。それで結構意欲を起こさせるのに時間が掛かりまして」
「君は最近、「こんにちは、ディケンズ先生」の続編をあまり書かずにクラシックの作曲家の評伝を読んだり感想を書くことに時間を費やしている。『オリヴァ―・ツイスト』(加賀山卓朗訳)や『荒涼館』(佐々木徹訳)の感想文は楽しく読ませてもらったが、ディケンズの翻訳をほとんど読んでいない。「ディケンズ長編小説の登場人物紹介」もディケンズ・フェロウシップの新着情報に掲載してもらっているが、まだまだ量が少ない」
「先生がいろいろ心配してくださっているというのは、本当に有難いのですが、尽きない泉のようにペン先から面白い話が迸り出てくるようであれば、「こんにちは、ディケンズ先生」の続きを書いていると思います。それにクラシックの作曲家の評伝を読むというのは以前からしたかったことですが、一応、一通り読んだので、プルーストの『失われた時を求めて』の読書を再開したいと考えています」
「まあ、それより、私としてはディケンズの小説を読んだり、登場人物紹介やプチ朗読用台本を書いてほしいところだが、君が計画的にしているのなら、これ以上は言わないよ。いつか、地道にディケンズの小説を読むという君の本来の姿に戻ってくれることを願っているよ」
そう言われ、私が心残りと驚愕の表情をするのに笑顔で応えられ、N先生は駆け足で八雲が原湿原へと向かわれた。