プチ小説「耳に馴染んだ懐かしい音12」
二郎はゴールデンウィークをほとんど自宅から外出することなく過ごしたが、最終日くらいは四条通をぶらつこうかと思い、午後から外出した。烏丸駅で下車して四条通を東に歩いて行くと四条河原町の交差点に差し掛かる頃に、森下さんのおばちゃんの声が後ろから聞こえた。
「あらゴールデンウィークも終わりだと言うのに、どこにも出掛けなかったのね。全然焼けていないじゃない」
「ああ、おばさん、よくわかりますね。実際、どこにも出掛けていないんです。おばさんは、元気に過ごされておられるようですね」
「そう、ひとつのことを除いては、すべて順調ってところね」
「ひとつ、うまく行っていないことがあるんですか」
「ええ、そうなのよ。それはクラリネットのレッスンのことなんだけれど...」
「この前は、次の発表会頑張ると言われていたと思いますが、何か問題が起こったのですか」
「レッスンの環境が整わなくて困っているの。発表会は、だいたい10月頃から1つの曲を決めて、頑張って練習するんだけれど、その前にレッスンを受ける生徒さんが固定するということが大切なの」
「どういうことですか」
「例えば、4月から新しい学年が始まったけど、出席者が私だけなのよ。一緒に授業を受ける生徒さんが来ないというのでは困るでしょ。今のところ私と一緒にレッスンを受ける生徒さんは、5月は出るけど、6月以降の予定はわからないと言われているの。その方はお家の事情で、去年の10月から3月まで休会されていたんだけれど、4月には再開されると言われたの。ところが4月の終わりのレッスン日に30分ほどレッスンを受けられただけだったの」
「うーん、それでは先生もどうして教えようかと思われますね。今まではこんなことはなかったんですか」
「習い始めてこの3月で丸9年になったけど、そんなことは今までないわ。最初は6人だったのそれが5人から4人に減り、3年前には3人になったの。それからさらに一人減り2人になったの。でも今一緒にされている男性が入りまた3人になったかと思ったら、最初から一緒にしていた生徒の最後の方が去り、2人になったの。前々回の発表会はその方と一緒に出たんだけれど、なかなかよかったのよ。それで次回もよろしくお願いしますと言ったんだけれど、ご家族を亡くされてクラリネットどころではなくなったの。それでもいつか復帰したいと言われていたので、待っていたのだけれど、忙しい状態が続いているようで...」
森下さんのおばちゃんは心細そうな声になった。
「このままだとレッスンが十分できなくて、とても心配なの。今までなら、テキストの課題やアルバムの曲を習うという感じだったんだけれど、今は実際個人レッスンと変わらないから、先生は私のレベルに合わせて難しいことを要求されないようになっているの。一緒にレッスンを受けている方がいつ出席されるかわからないので、テキストの曲を順番に練習していくというわけにいかないから、基礎的な音の出し方やアーティキュレーションの練習しかできないの。特に事前に一つのエクササイズや課題曲を練習する必要もないので事前に近くのスタジオで練習することもなくなったわ。これではだんだん演奏技術が落ちていくような気がするの」
「確か、発表会は今年の1月でしたよね。2月、3月は何をされていたのですか」
「2月と3月は個人レッスンということを聞いていたから、レッスンを離れて以前からやりたかったフォークソングを吹かせてもらったわ。先生が伴奏して、高校時代に親しんだフォークソングを演奏したのよ。とても楽しかったわ」
「それを4月以降も続けられたらよかったですね」
「先生を私が独占するわけにはいかないわ。一緒にレッスンを受けたいと言われたら、仲良くしないとね」
「でもこのままでは技術的に向上できないし、おばさんがしたいこともできないということになりますね」
「ええ、それで二郎君に愚痴を聞いてもらったわけ。少し気が晴れたわ」
「お役に立てたのなら、うれしいです。でもお金を払って習っているんですから、おばさんが思っていることを先生に伝えてもいいと思います」
「わかったわ。今度、先生にいろいろお願いしてみるわ」