プチ小説「いちびりのおっさんのぷち話 カーペンターズ編」
わしがちいこい頃は野球のテレビ中継は、午後9時前までと決まっとった。その後はラジオで聞くことになっていて、父親が若い時に購入した日立の携帯ラジオで父親と一緒にその続きを聞いたもんやった。わしが野球中継をしていない時にもラジオを聞いとると、ラジオ放送に興味を持っていると両親は思ったみたいで、中学に入るときに高価なナショナルのラジオを買うてくれたんやった。買うてもろてしばらくは、わしは休みの日だけやのうて、平日も朝から晩までいろんな番組を聞いたもんやった。中年のリスナー向けのラジオの公開放送を見るために平日の昼間に高石市東羽衣のサテライトスタジオに出向いたりして、最初のうちは試行錯誤を繰り返したもんやった。それでも中学2年の頃には平日の午後9時から午後11時30分まで朝日放送ラジオを聞くことが習慣となった。特に午後11時から始まる、ヤングリクエストは毎日の楽しみやった。歌謡曲もよくかかったが、洋楽も同じくらい流れて、それが楽しみで番組が終了する午前3時まで夜更かしすることも屡々やった。その楽しみのひとつが、カーペンターズの「イエスタデイ・ワンス・モア」を聴くことで、サイモン・バタフライの「レイン・レイン」、アラン・ドロンとダリダの「甘い囁き」、アルバート・ハモンドの「カリフォルニアの青い空」と同様に当時愛聴していた曲やった。カーペンターズはカレンとリチャードの兄妹デュオで、それまでにも、「涙の乗車券」「遙かなる影(close
to you)」「愛のプレリュード」「雨の日と月曜日は」「スーパースター」なんかのヒット曲があった。「イエスタデイ・ワンス・モア」は「ナウ・アンド・ゼン」というアルバムに入ってる曲で、シングル・カットされて流行り出した曲と言われとる。この後にもカーペンターズは、「トップ・オブ・ザ・ワールド」「ジャンバラヤ」「愛は夢の中に」「オンリー・イエスタデイ」のヒット曲を出しとるが、わしは高校受験で深夜放送を聞くのを中断したり、興味の対象がフォークソングに移ったりで、高校に入ってからはカーペンターズを聞くことがほとんどなくなったんや。その後にも、「見つめあう恋」「青春の輝き」というヒット曲もあったみたいやが、わしがその二つを聞いたのは、カレンが1983年に若くして亡くなってそれから発売された追悼盤でやった。あと2つか3つでも心に残る曲を残してくれたらと思うんやが、若くしてカレンが亡くなったから、「イエスタディ・ワンス・モア」が永遠の名曲になったのかもしれん。わしは、これから先もずっと、なーんもおもろいことがなかった中学生の頃にただひとつ心が温まるようなひと時があったことだけは持ち続けることやと思う。船場はカーペンターズの曲を聴くだけではもの足らんかったみたいで、クラリネットで吹いたりしとるみたいや。楽譜も買うたみたいやから、どないしてんのか訊いてみたろ。せんばー、おるかー。はいはい、にいさん、カーペンターズのことですね。ぼくも昔から、カーペンターズは大好きで、「イエスタデイ・ワンス・モア」がラジオで流れ出すと、遠い昔を思い起こすような目になって、曲に聞き入ったりします。クラリネットは、レッスンで、「イエスタデイ・ワンス・モア」「青春の輝き」「トップ・オブ・ザ・ワールド」を習ったので、いつでも、兄さんの前で披露することができますよ。お前、それはおかしいんとちゃう。お前とわしとは一心同体やからお前の前にわしが立つということは、変身前のヒーローが変身後のヒーローの前に立つということやで。わかりました、それなら、兄さんが聞きたいと思った時にカーペンターズの曲を演奏することにします。それならわかる。で、お前はなかんずく、どの曲が好きなんや。もちろん、「イエスタデイ・ワンス・モア」は群を抜いていますが、「青春の輝き」「オンリー・イエスタデイ」なんかも好きですね。これはぼく独自の意見なので聞き流してほしいのですが、カーペンターズが充実したアルバムを何枚も残さなかったので、彼らが残したいくつかのシングル盤がより多くの人々に永遠に語り継がれることになったのです。そやろ、お前もそう思うやろ。わしも、久しぶりにカーペンターズの「涙の乗車券」を聴いてこましたろ。