プチ小説「太郎と志郎の夏休み10」
坪井のバス停を下りて東に歩くと、さきほど久米のおばさんが手を振ってくれた踏切があった。そこから50メートルほど南に行くと久米の家があった。梅男が太郎と志郎に言った。
「ここにゃあ、呼び鈴なんてないから、お前ら、大きな声で、大阪から来ましたと言ってみな」
「大阪から来ました」
おばさんが勝手口にやって来て、引き戸を開けた。おばさんは最初少し驚いたような顔をしていたが、すぐに満面の笑みへと変わった。
「太郎も志郎もよう来てくれた。さあ、中にお入り、スイカを切るけー、ゆっくりしてな」
「おばさん、謙はどうしとるん」
「友人たちにカブトムシやクワガタムシがおるところを訊いてみるゆうてな、今日は学校へ行きよった」
「おばさん、わしゃー、じき帰るけー、気い使わんでええけ」
「じゃあ、スイカ食べて帰れや」
「そうするよ」
梅男を見送ってしばらくすると、謙が帰って来た。謙は残念そうに言った。
「やっぱり、カブトムシやクワガタムシはここらの子にも人気があるんで、採取できる秘密の場所は教えてもらえなかったよ」
謙の話を聞いて、太郎と志郎は残念そうな顔をした。それを目敏く読み取った謙は、
「ははは、安心しろ。ぼくが昔から、カブトムシやクワガタムシを取っているところがあるから。家から5分もかからないところにあるから、明日の朝、そこに連れて行ってやるよ。カブトムシさんやクワガタムシさんは早起きだから、早く起きて、朝食の前にそこに行くとしよう」
その晩、太郎と志郎は謙とその両親と食卓を囲んだ。謙の父親は言った。
「ほんに、遠くから、よう来たなぁ。久世はおばさんが主婦で3度のご飯も出せるし、梅男がふたりの相手をしてくれるから、1ヶ月も預かれるけど、わしら共稼ぎだし、平日はとても太郎と志郎に来てもらえんのよ。でも、わざわざ大阪から来てくれたんじゃから、1日くらいは何とかせにゃーと思ったんよ。明日の朝は謙がカブトムシ取りに連れて行ってくれるが、久世のような大きなきれいな川は近くにないしここは退屈かもしれん...。もう少し大きゅうなったら、謙が津山に連れて行ってくれるじゃろ。明日の昼過ぎに梅男が来るから、昼まではゆっくりしたらええけ」
翌朝、太郎は5時30分頃に目を覚ました。横で寝ていた志郎を起こして身支度を整えると足早に玄関に向かった。6時少し前に起床した謙は、太郎と志郎が既に玄関にいるのを見て少なからず驚いた。
「ふたりとも早いなー。6時って言っただろ」
「だって、ここらの子にも人気があるって言っていたから、少しでも早く行った方がいいんじゃない」
「ははは、まあその心配は必要ないよ。ぼくしか知らないから。ふたりとも用意ができているようだから、行こうか」
謙が言う通り、50メートルほど歩くと山林に入って行く道があり、そこから5分程歩いたところにクヌギの木はあった。80センチほどの高さのところから、樹液が溢れていてそこにカブトムシのオスが1匹、メスが2匹、ミヤマクワガタのオスが1匹、コクワガタのメスが1匹いた。
「飛んで逃げることはないから、ほらこんな風につかんで、虫かごに入れるといい。よし、5匹の収獲はまあまあだな。帰るとしよう」
「ねえ、朝だけここに来ると言ってたけど、お昼過ぎに来ても駄目なの」
「絶対にいないとは言わないけど、朝以外はクヌギの木の上の方にいたり、他のところにいたりすることの方が多いんだ。仮に昼すぎに来たら、1匹くらいはいるかもしれないけど、山道では蛇も出るし、ふたりだけで行かせるわけには行かないんだよ。わかった?」
「はい、わかりました」
昼食を終えて、1時間ほどすると梅男が久米に到着した。梅男は興味津々顔で、収獲はあったのかと尋ねた。
ふたりはプラスチック製の虫かごを高く掲げて、うれしそうに言った。
「見て、ミヤマクワガタもカブトムシのオスもいるんだから」