プチ小説「いちびりのおっさんのぷち話 ベートーヴェン編」

わしはちいこい頃から色んな音楽に親しんで来た。歌謡曲、フォークソング、ポップス、ジャズ、ワールドミュージックとひと通り聞いたんやが、どうもクラシックだけは何度聴こうと思ってもうまく行かなんだ。というのもあのベートーヴェンの運命の最初のところ、ジャジャジャジャーンというオーケストラが大音量で鳴らすところが苦手でな、その後聴き続けようという気力が失せてしまうんや。それでも、ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」の第2楽章やヴァイオリン・ソナタ第5番「春」なんかはメロディが美しい曲で、別の人が書いたみたいな穏やかな曲や。わしの音楽の趣味が変わって行ったようにベートーヴェンも年齢によって音楽の志向が変わって行ったのかもしれんし、色んな技法を身に着けてそれを実践したくなったのかもしれん、それより艱難辛苦を乗り越えて若い頃より人間としてずっと深みを増したベートーヴェンが若い頃には到達できなかった高い境地に立って作曲したんかもしれん。わしは若い頃に滾々と湧き出る泉を原動力にして勢いに任せて書いた曲も好きやし、技術と知性を積み重ねて円熟の境地に到達して書かれた曲も好きや。クラシックの大作曲家という人たちが長い年月を経て、今なお多くの人に聴かれているちゅーのは、魅力があるからなんやろが、あのジャジャジャジャーンを聞くとあかんのや。船場は、クラシックを聴き始めて40年経過した今でも、クラシックの魅力に憑りつかれていて、週末に限らず暇があったら、クラシック音楽を聴いとるようや。どうしたらそんなにのめり込むことができるんか、訊いてみたろ。おーい、船場ーっ、おるかー。はいはい、兄さん、どうしたらクラシックが好きになるかということですね。いや、違うな。わしが言うとるのは、どないしたら、クラシックなしではさみしょーてしょうないという境地に達することができるかや。そうですか、では、にいさんが先程話しておられたベートーヴェンの音楽の魅力についてお話したら、少しは参考になるかもしれません。ほう、おもしろそうやな、話したってんか。ベートーヴェンは父親が音楽家だったのですが、家は貧しく自分で活路を開いて行くしかありませんでした。音楽家として成功してからも兄弟やその家族の経済的援助のため作曲してお金を稼がなければならなかったのです。言ってみれば、ベートーヴェンは家庭を持つことも、楽しい趣味を持つこともなく、家族のために馬車馬のように働いて、駆け抜けた一生だったと言えると思います。仕事が趣味のようなものと言われる方がおられますが、ベートーヴェンもそんなおじさんだったように思います。また怒りっぽい、感情を表に出す人物だったと聞いています。そんな彼が手掛けた音楽が、強弱が激しくて、感情を露わにするところでは、大音量になってしまうのは仕方がないのかもしれません。「運命」などの交響曲やピアノ協奏曲の感情が高まるところでは、しばしば大音量に出くわしますが、静かな美しいメロディがそのすぐあとに続くことも多いです。にいさんが大音量はどうも苦手やと仰るのなら、ベートーヴェンの室内楽曲やピアノ・ソナタを聴くという手があります。七重奏曲、チェロ・ソナタ第1番〜第3番、ヴァイオリン・ソナタ「春」「クロイツェル」、弦楽四重奏曲第7番〜第10番、ピアノ三重奏曲「大公」などをじっくり聴かれてから、ヴァイオリン協奏曲、ピアノ協奏曲を楽しまれては、と思います。ここまで来ると、ベートーヴェンの激しい感情移入にも慣れてくるので、「英雄」「運命」交響曲第7番の出だしの大音量もあまり気にならなくなると思います。そうか、わかった、ほしたら、わしもベートーヴェンの作品を聴いてみるわ。