プチ小説「こんにちは、N先生12」
今年の夏は暑い日が続いており、夜になっても30度近くあるだろうと思ったのですが、ここ2年続けて京都五山の送り火を見に行っているので、今年も仕事を終えてから、阪急電車で京都に向かいました。目的地は高野橋でした。ここで「法」の字の送り火を撮影して、「妙」の字の送り火が見える宝ヶ池自動車教習所へと向かう予定でした。点火の時間が「妙」「法」ともに午後8時5分だったので、5分ほど「法」を撮ってから、駆け足で「妙」へと向かう予定でした。午後8時を過ぎると「大」の字が後方で少し見えました。私と欄干の間に50代くらいの夫婦と思われる男女がいてどうしてもその2人の頭部がフレームに入るので、どうして撮ろうかと思っていました。いよいよ点火になり、私はシャッターを押し続けましたが、ストロボオフにしなかったためシャッターを押す度にストロボが発行し、それに驚いて熟年夫婦は、どうぞここで撮影してくださいと言ってどこかに行ってしまいました。私が前に進んで「法」の字を撮っていると聞いたことのある声がしました。「君ぃ、そんなふうにして、人を驚かせて場所取りをするのはよくないよ」と言われました。私は、「すみません、撮影に夢中になって気づきませんでした。気を付けます」と言いました。それから続けて私は、「N先生、どうしてこんなところにおられるのですか」と尋ねました。N先生は、「別に私が京都の伝統的な行事に関心を持っても不思議ではないだろう。たまたま私が高野橋で鑑賞していたら、君がやって来たということさ」「そうですか、で、この後はどうされるのですか」「もちろん、小走りで宝ヶ池自動車教習所に向かうつもりだよ。それよりそろそろ行かないと「妙」の字が消えてしまうよ」と言われました。私は、もう1枚「法」を取り、レンズにキャップをつけ、「妙」へと向かいました。松ヶ崎通りに入ると「妙」が少し見えたので、レンズキャップを取り、シャッターを押しました。横を見るとN先生が追いつかれ、にこやかに話し掛けて来られました。「君はまさかこんなドサクサに文学の話はしないだろうと安心しているだろうが、それは甘い。ところで最近、君は『失われた時を求めて』を読んでいるのかね」「N先生、もう20分したら、「妙」が消えてしまうので、それからではだめですか」「いや、ダメだ、こうして遠くに「妙」を見ながら、会話するというのに、醍醐味があるんだ。さあ、話して」「私は、メタファーがてんこ盛りの『花咲く乙女たちの影に』は少しは楽しみましたが、『ゲルマントのほう』ははっきり言って、何が言いたいのかわからず終わってしまったという感じです。話者(主人公)は保養地バルベックで知り合ったサン=ルーとの交友を深めて行き、オペラ座でふと見かけたゲルマント侯爵夫人の夜会に出席できるよう計らってくれと懇願します。サン=ルーとゲルマント侯爵夫人は親戚関係だったので、それが可能と考えたのでした。なぜかそういったサロンのようなところで話者はもてはやされるようで、夜会では珍重されますが、その夜会の場面が矢鱈に長く内容が掴めない。貴族社会というものを当時の社会情勢を絡めて描きたかったのだと思いますが...。怒りっぽいシャルリュス氏や病身で話者にとってかつての面影がなくなったスワンが登場したりしますが、この2人の描写さえ中途半端で終わってしまった気がします」「はあ、はあ、そうか君にとっては、『ゲルマントのほう』は面白くなかったのか」N先生が息を弾ませていたので、私は足を止めて、「妙」の字を撮りました。「じゃあ、『ソドムとゴモラ』『囚われの女』『逃げさる女』『見出された時』は読まないのかな」「いいえ、最後に何かあることを期待して、読み続けます。今でようやく半分読み終わったところですが、気長に続けるつもりです。そのあとならディケンズの『バーナビー・ラッジ』『マーティン・チャズルウィット』『ハード・タイムズ』なんかも退屈せずに一気に読めるんじゃないかと思っています。『失われた時を求めて』を読んだら、ディケンズの長編小説すべてを読み直そうと思っています」私が私見を話しながら走っているとN先生が後れを取られ後方に退くこともありましたが、そんな時は、私は「妙」の字を撮って、N先生が追いつかれるのを待ちました。ようやく宝ヶ池自動車教習所に到着しましたが、その時は、「妙」の字は燃え尽きて、ところどころ火が燻っていました。先生は、「君がディケンズの長編小説を読み直すと聞いて安心したよ。『失われた時を求めて』を読み続けるのは大変だろうけれど、君が言う何かがきっとあるだろうから、最後まで読むんだよ」そう言われる
と地下鉄に乗る私と別れ、市バスのバス停へと向かわれました。