プチ小説「希望のささやき11」
内藤が母校の大学図書館を30年ぶりに訪れたのは、日本の有名な小説家が彼の随筆の中で、大きな図書館を有効に利用すれば、たくさんの名作に触れることができ、創作するための原動力になるというようなことが書かれてあったからだった。彼は定年を前にして、ここらでひとつ長編小説でも書いてみようかと思っていたが、自宅では腰を落ち着けて書くことができなかった。彼は環境が変わることで創作意欲が高まることを期待して、休日を利用して自宅から2時間ほどかかる母校の大学図書館にやって来たのだった。
彼は大学を卒業してから、いくつかの短編小説を書いたことがあったが、長編小説は初めてだった。
<O・ヘンリーやモーパッサンの真似をして、いくつか短編小説を書いてみたが、会話を羅列しただけの小説に終わってしまった。登場人物の内面の葛藤や多くの人との関係を描こうとすると文庫本で30〜40ページの分量ではとても描き切れないと思った。それで、まずは長編小説の手法を身につけようとディケンズ、トルストイ、ドストエフスキー、バルザックなどの長編小説を読んだんだ。おや、あれはもしかすると...>
内藤がその人物がどこの席に座るか目で追っていたが、内藤の近くのテーブルに腰かけたので、近寄り声を掛けた。
「やあ、先輩じゃないですか。今日はどうされたんですか」
「なんだ、内藤か、びっくりさせるなよ。お互い、もうすぐ還暦になるんだから、学生さんが一所懸命勉学に励んでいるところで、妨げになることは慎もうぜ」
「そ、そうですよね、じゃあ、談話室にでも行きますか」
「それもいいけど、外に出てもいいんじゃないか」
ふたりが図書館を出てベンチに腰かけると、内藤が話し掛けた。
「先輩、ぼくは先輩のような小説を書いてみたいと思って、大学図書館に来たんですが、先輩はここによく来られるんですか」
「それは遠路はるばる、ご苦労さん。俺はたまにかな。内藤は俺のことを持ち上げてくれるけど、今のところは大したことはないんだぜ」
「そうかもしれませんが、大学時代に文学のサークルに入っていたわけでもないし、地道に文学賞に応募していたわけではない。それで突然、50才を少し過ぎて、流通はするが自費の小説を出版したわけですが、その内容も奇抜なものでした。19世紀の小説家が主人公の夢の中に出て来て、自分の著作について語ったり、主人公の人生相談を引き受けたりというものでした」
「そうだな、内藤の言う通りだよ。一般的な考え方からするとちょっとずれているかもしれないね」
「そうですよ、小説は読みやすいのが第一で、言いたいことはひとつくらいにして、しゅっとした小説にできなかったんですか」
「内藤が言いたいこともわかるが、小説を出版するのは、何も売り上げを伸ばすというのが最大の目的ではなく、自分の言いたいことを多くの人に知ってもらうことが第一だと思うよ。それが雪だるま式に大きくなっただけさ。そりゃー、結果として売り上げが伸びれば、言うことないけどね」
「そんなことを言っているから、第2巻も売り上げが伸びていません。ぼくは先輩をお手本にして、小説を出版しようとしているのに、これではお手本になりません」
「まあ今までは、そうだったかもしれないが、11月29日には大手出版社から、第1巻の改訂版が出ることになっているし、それで少しは展望が開けるんじゃないかな」
「改訂版ですか?」
「そうさ、第1巻は、5年を過ぎても流通出版だったが、第2巻は売れ行きが芳しくなかったので、出版社に今後どうなるかと問い合わせたところ、今後は流通出版は取り扱わなくなるということで、大手出版社を紹介してもらった。出版費用はかかったが、全部売り尽すと言われているので、よりたくさんの人の目に触れるんじゃないかと期待しているんだ」
「そうですか、売り上げが伸びるといいですね」
「そうさ、改訂版の出版を切っ掛けにして人生の展望が開けたら、生きてきた甲斐があったというものさ。それにいろんな人との繋がりができているので、それを生かせないのは、許されないと思うんだ」
「ははは、それはちょっと大袈裟じゃないかな。でも先輩が真剣なことはよくわかりました。是非、後悔しないよう精一杯頑張ってください」
「もちろんだとも」