プチ小説「彦根の夕焼け」
太郎は父親が電車の修理の仕事をしていたので、小さい頃から電車が好きだった。もちろんその本当の理由は父親が電車が好きで、電車によく乗せて旅行に連れて行ってもらったからということであるが。彼は中学生になって、一人で遠くに出掛けることが可能になると、小遣いが貯まったら、各駅停車を乗り継いで遠くまで出掛けた。大阪北部に住む太郎は京都や奈良まではよく出掛けたが、その向こうまで一人で行くことはなかった。太郎のその頃の考えでは、京都、奈良は古の都であり、街も落ち着いているという思い込みがあった。それでも中学生だったので歴史的な興味を持って古都を訪れることはなく、京都に行って、京都タワーや東寺の五重塔を見上げて帰って来るとか、奈良に行って、春日大社の境内を歩いたり奈良公園の鹿を見て帰るに留まった。
高校の頃に写真部の撮影会で神戸市内や摩耶山に行ったが、太郎はこの時に初めて神戸を訪れた。摩耶山からの夜景は美しく、印象に残っているが、神戸には太郎が好きな古刹や大きな神社がないのでその後訪れることはなかった。
高校2年の頃に深夜放送で彦根が夕焼けがきれいなところと聞いたので、太郎は出掛けてみることにした。思いつきで行ったので、彦根駅に着いた時には夜になっていて、街を歩くこともなく1時間も滞在せずに帰った。その後も何度か行ったが、雨に祟られたり、日が差さなかったりで夕焼けを見る機会を逸した。
そんな太郎も社会人になり、彦根の夕焼けは行き当たりばったりでは見られないということに薄々気づき始めていた。
「ぼくの住むところから彦根は京都よりずっと遠くにあり、頻繁に訪れることはできない。彦根の夕焼けを夏に見ようとすると、日没の午後7時過ぎまで待たなければならない。見終わってから家に帰ると、午後9時は過ぎている。景色の良い高台となると彦根城の天守閣しか思いつかないが、こちらの入場は午後5時までの受付だ、夏期の午後5時だと夕焼けどころかまだ日が高い。それでも12月に入ると、午後5時は真っ暗だろう。彦根城の天守閣辺りで琵琶湖畔の夕焼けを楽しむためには、11月下旬のお天気のいい日に彦根に行き、午後4時半ごろ彦根城に入り、玄宮園を見学してから、天守閣へと向かうのがいいのかもしれない。一度行ってみるか」
11月下旬のある日、太郎は彦根駅で下車し、彦根城へと向かった。入場券を購入し、天守閣への石段を上る頃には、日は傾いていた。太郎が天守閣入り口前の広場まで上がってくるともうとっくに日は沈んでいたが、夕焼けは残っていた。
「ちぇっ、今日も絶景には出会えなかったか。でも徳富蘇峰が『自然と人生』で描いていた、滴を落とす黄金の太陽をいつか見ることができるんだろうか。ここより南海の島の方が夕日はきれいなんだろうか。それとも北海道の内陸部の方が冬に夕日を見るにはいいんだろうか。でもあんまり効率よく物事を達成しようとすると失敗する。ここは粘り強く、好機が到来するのを待つしかないのだろう。建造物はいつでも見られるけど、自然が相手だとそういうわけにはいかない。天体ショーでも何度も雨や曇天に遭って痛い目に遭っているから、それを確信できるんだ」
太郎はしばらく肩を落として、赤みが残っている琵琶湖畔の景色を見ていた。
「天体観測や絶景は歓喜を与えてくれるけど、苦労が多いなぁ。でも夕日や夕焼けを追いかけるのはぼくの性分、さがなのかもしれない。そういえば、財津さんもそんな歌を書いていたな」
太郎は彦根駅へと帰る道、チューリップの「夕陽を追いかけて」の終わりのところを何度も口ずさんだ。