プチ小説「おしゃべりしながら鴨川べりを歩こう」
私が京都で学生生活を送っていた頃のことだ。大学で、午後4時ごろに鴨川べりに行くと奇妙な格好のおじさんに会えるという噂が流れた。40代位のおじさんで、ある時は月光仮面の格好をして現れ、正義について意見を求めたり、ある時は燕尾服に指揮棒を持って現れ、好きなクラシック音楽についてた尋ねられたり、ある時はイノシシの着ぐるみを着て現れ、お前、すきやんおるんかと尋ねたりした。私は月光仮面とイノシシは興味がなかったが、クラシック音楽に興味があったので一度燕尾服のおじさんと話してみたいと思った。ある日うまい具合に4講目が休講になったので、午後3時半ごろに四条河原町に行き、鴨川の川べりを北上することにした。おじさんは午後4時ごろに私の目の前に現れたが、残念ながら、月光仮面の格好をしていた。私はクラシック音楽の話をすることしか念頭になかったので、おじさんの横を通過しようとした。するとおじさんは少し憤慨した顔をして関西弁で話し始めた。
「あんた、つき合いわるいなあ。エエ年したおっさんが月光仮面の格好して現れたんやから、それなりに驚いてくれんとやる気なくすわ」
「ぼくは何もおじさんのやる気をなくさせるつもりはありません」
「ほんなら、わー、びっくりしたとか言うてくれてもええんとちゃう」
「わっ、びっくり」
「なんやそれ、心がこもってへんわ。ほんまに最近の若いやつは」
「おじさん、ぼくはおじさんとクラシック談義ができると思ってここに来たんですが、月光仮面だったのでがっかりしたんです」
「そんなこといーな。わしはローテーションを組んでやっとるから、今日は月光仮面やけど、君がええんやったら、この格好でクラシック音楽の話をしてもええよ。それともちょっと待っていてくれたら、自宅に帰って着替えてくるからそうするか。きみは月光仮面と燕尾服とどっちがええ」
「ぼくはどちらでもいいですよ」
「そしたらこのままでいこ」
私は月光仮面のおじさんを相手にクラシック音楽の話をすることになった。
「悪いけど、お題はわたしが指定させてもらうでぇ。そうやなあ、今は春たけなわちゅーところやから、こんな時はモーツァルトを聴くのに最適やと思うんやが、あんたどう思う」
「ええ、ぼくもモーツァルトは大好きですよ。ディヴェルティメントK136、セレナード第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、ピアノ協奏曲第21番、ヴァイオリン協奏曲第3番、フルートとハープのための協奏曲、クラリネット協奏曲、ホルン協奏曲第3番、弦楽四重奏曲第21番、「プロシア王第1番」、弦楽五重奏曲第3番、ピアノ・ソナタ第15番なんかが、春を彷彿とさせるのでぼくは好きですね」
「えーっ、わしがええなちゅーのを全部言うてしまいよった。しゃーないやつやな」
「でも、ぼくが思うに、春たけなわを感じさせるのはロマン派の音楽じゃあないでしょうか」
「そうやな、ロマン派の音楽には情熱の迸りちゅーやつがあるからな」
「そうです、特にシューマンとブラームスにはそんな曲がいくつかあります」
「シューマンは交響曲第1番「春」やろ、ブラームスはピアノ協奏曲第1番かな」
「ええ、その通りです。ブラームスは弦楽六重奏曲第1番、ヴァイオリン・ソナタ第1番「雨の歌」なんかもいいですね」
「春という字がタイトルに出てくるのに、ストラヴィンスキーの「春の祭典」があるんやが、あんたどう思う」
「その曲はおじさんの今の格好に似て、すぐに受け入れることが難しいですが、慣れれば親近感が湧くと思います」
「そうか...残念ながら今出川通まで来てしもうた。今日はここまでということや。わしももうちょっとクラシックの勉強をするから、あんたも大学でしっかり勉強しいや」
「またお邪魔してもいいですか」
「ええよ、でもこんどはイノシシの着ぐるみかもしれん」