プチ小説「たこちゃんの散歩」

ウォーク パセオ スパツィールガングというのは散歩のことだけれど、昔、フランスにカントという哲学者がいて朝の散歩を日課にしていた。哲学者が散歩好きというのはよくあることだと思うが、カントが凄かったのは毎日ほぼ同じ時刻にある地点を通るということだった。規則正しい生活の一環として朝の散歩を大切にしていたようだ。また日本の哲学者西田幾多郎も東山山麓の琵琶湖疎水の西側の小道をしばしば散歩したという。春にはソメイヨシノが咲いて賑わうが、西田はそんな小道を春夏秋冬を問わず、逍遥したのだろう。ぼくも浪人時代に西田のこの有名な話を聞いて、京都のいろんなところを歩いてみたくなった。学生時代に京都の町の散歩を始めて、今ではいろいろなお気に入りのコースがある。河原町通、三条通、北山通なんかの賑やかな通りを歩くのも好きだけど、人があまりいない、嵯峨野、大覚寺近辺、嵐山のお寺を散策するのも好きだ。ぼくは、ただひとり京都の町を歩いていると思うだけで心が和むんだが、最近、何度か鴨川べりの遊歩道を天気のよい日に歩いた。穏やかな日差しが鴨川の水面できらきらと輝いて、学生や若いカップルなんかが歩いているのを見て、ひとりで歩くより誰かと一緒に歩くのがいいのかもしれないなと思ったものだった。それでもアイデアの尽きせぬ泉を持っているわけでないぼくは、京都の町をひとりで散歩しながら、アイデアをひり出す、いやひねり出すことがよくある。自宅で何時間も椅子に座って考えてもアイデアが浮かばないという場合でも、鴨川べりを四条から出町柳まで歩くと浮かんでくることもあるので、これからも京都へ足繁く通うことだろう。それから学生時代に友人の下宿に行くために通った道、2回生と3回生の時の夏休みのバイトで通った地下鉄丸太町駅からパレスサイドホテルへと向かう道も僕にとっては懐かしい気持になる散歩したい道なんだ。こちらもいつか行けたらなぁと思っている。駅前で客待ちをしているスキンヘッドのタクシー運転手は、自動車をゲタ代わりにしているように思うが、京都の町を散策することがあるんだろうか、そこにいるから訊いてみよう。「こんにちは」「オウ ブエノスディアス オイアセフリオ」「そうですね、ぼくも寒さが身に沁みます」「船場はん、何言うとるのん、わしと違ってあんたは独身貴族で何の不自由もないやろ。本を出したり、クラリネットを吹いたりして優雅な生活をしとる。外から見たら、羨ましい限りや」「そんなことは言わないでください。ぼくだって、満たされないことがたくさんあります」「そら、あんた、今更、女性のことを言うのは諦めんと...」「いや、それはとっくの昔に諦めています」「そうか、ほんだら、あんたの満たされないことってなんや」「まず、『こんにちは、ディケンズ先生 改訂版』が、ベストセラーにならないことです」「そら、あんた、まだ発売されて2ヶ月も経ってないんやから、しゃーないわ」「そうですか。じゃあ、槍穂高縦走はどうですか」「それも今は様子を見るしかないんとちゃう」「様子ですか」「そうや『こんにちは、ディケンズ先生 改訂版』が売れ出したら、山登りどころではなくなるやろ」「それはそうですが、槍穂高縦走は、上高地‐徳澤‐横尾‐槍沢ロッジ‐槍ヶ岳山荘‐南岳小屋‐北穂高岳‐涸沢岳‐穂高岳山荘までしか行っていません。あと奥穂高岳‐前穂高岳‐岳沢‐上高地が残っています」「そんなこと言うても、槍穂高縦走をするんやったら、4月からトレーニングを始めて週末は山登りのことばかりを考えてんとあかんやろ。それに船場はんに往時の体力はないやろから、下手したら遭難するかもしれへんでぇ」「そんなことを言わないでください。夢を実現させてください」「まあ、本と山のことはこっちに置いといて、他になんかあるか」「ええ、フルマラソンに出場して完走することです」「10キロ走で完走したからちゅーて、軽々しくフルマラソン完走なんて言うもんちゃう。第一ジョギングする時間がないちゅーとったのはあんたやんか」「でもぼくは、この本、山、走が楽しみなんです。何とかなりませんか」「睡眠時間を削って、ジョギングせいというわけにいかんから、通勤手段をジョギングにしたらどないや。そうしたら体力がつくから、山登りのシーズンには往時の体力が戻っとるかもしらん。船場はんは、『こんにちは、ディケンズ先生 改訂版』がなかなか売れないとやきもきしとるようやが、ジョギングで通勤したら、いらんことを考えている暇がなくなって、ある日気が付いてたら、本の増刷になってたということも考えられる。どうや、ええ考えやろ」「うーん、それは...」「まあ、それはそれとしてうさぎとびとリヤカーごっこは体力がつくから、今から始めてもええんとちゃう」そう言って、鼻田さんがぼくの背後にまわり両足を掴んで持ち上げたので、ぼくはリヤカー役を引き受けたのだった。