プチ小説「名曲喫茶ムジークヒュッテ6」
夏山はしばらく自分の鞄を探っていたが、あー、あった、あったと言って一枚の紙を取り出した。
「自家製のチラシですね」
「そうです、この前、東京の名曲喫茶に行った時に手に入れました」
「ちょっと、拝見してもいいですか。朗読会のチラシですね」
「ええ、この名曲喫茶もそれほど大きくありません。ステージとして利用できるのは、奥行き1メートル、幅2メートルくらいかな」
「それなら、うちでもなんとかなりそうだ」
「アップライトピアノもステージの際に設置してあるので、ヴァイオリン・ソナタの演奏なんかもできます」
「うちもアップライトピアノなら、なんとか入りそうだ」
「まあ、ピアノを入れるのは今すぐでなくてもよいと思います」
「そうか、演奏会をすれば、演奏者の友人が聴衆として来店されますね」
「まあ、友人をあてにするのはどうかなと思います」
「と言いますと」
「演奏者の友人として来られるのはせいぜい数名で、やはり固定のファンを持たないとライヴを続けるのは難しいと思います。そのために案内のチラシが必要なんです」
「でも演奏者にしても、お客さんにしても、今のところ伝手がありませんが」
「そうです、だから、それをどうするか考えましょう。今すぐでなくてもいいと思います。ぼくがいなくてもおふたりで知り合いの方に演奏を頼むとか。お客さんは親しい方にお願いするとか」
「一郎、わしも探してみるよ。案外、生の演奏を聴きたいという人がいるかもしれない」
「ええ、やってみます」
「それから、発信のことですが、一番いいのは、新聞を作ることです」
「新聞なんてできるのかな」
「難しく考えなくてもいいですよ。ライヴの情報とか。クラシック音楽についてのエッセイとか、そうですね、A4の紙の片面だけでもいいんじゃないですか。昔は謄写版なんかが必要でしたが、今は端末と印刷機があれば簡単に情報発信ができます。新聞は息子さんが作成されればよいと思います」
「わしもクラシック音楽のことを書かせてくれ、へへへ」
「でも、そんなにうまく行くでしょうか」
「まあ物事の結果の良し悪しはどれほど熱意を持って取り組むかでしょう。ぼくは立場上、助言しかできませんが、せいぜい応援だけはさせていただこうと思っています。いろいろ言いましたが、一度に全部のことをしようと思うとしんどくなります。まずは新聞を作ってみられてはどうでしょうか」
「そうですね。やってみましょう。それよりも私の働き口を探すのが先だな」
「最後に2つお願いがあります。聞いていただけますか」
「もちろん、続けてください」
「ひとつは、屋号のことです。名曲喫茶という店名は、ちょっとインパクトが足りません」
「それじゃあ、どんなのがいいですか」
「ぼくが最初にこの店を見て思ったのが、山小屋みたいだなということでした。ドイツ語で山小屋はヒュッテ。その前にドイツ語で音楽を意味するムジークを付けて、ムジークヒュッテというのはどうでしょう」
「いいですよ。一郎、看板も早いところ新しいものに取り換えようか」
「わかりました。それからもうひとつは何ですか」
「ムジークヒュッテですから、ライヴの内容を関連したものにしてください。ワールドミュージックは許容範囲ですが、ロックやフォークは適用外です。また朗読会はオーケーですが、一人芝居はここでしないほうがいいでしょう。今言ったのは、ぼくの個人的な意見です。経営者はおふたりなんですから、ぼくが言ったことは参考にしていただくだけで結構です」
「いえいえ、貴重な意見をいただいたので、実行に移していきたいと思います」