プチ小説「名曲喫茶ムジークヒュッテ8」

夏山は荒木が身を乗り出すようにして話すのを笑顔で聴いていたが、腕時計に目をやると午後7時を過ぎていた。
「もうこんな時間か。荒木先生、クレンペラーの「夏の夜の夢」を聴いてすぐに帰られるつもりだったのに、長居をさせてしまったのではないですか」
「いや、気にしなくていいよ。それより今日は木曜日だから、君こそ早く帰らないといけないんじゃないか」
「もう少しだけなら、大丈夫です。じゃあ、話を続けさせていただきます」
「さっき、ディケンズがいいと言っていたが、どんなのがいいのかな」
「分量として多すぎないか心配ですが、クリスマス・イヴの日に『クリスマス・キャロル』を読むというのは意義があるし、ある程度のお客さんも見込めていいと思います。ただクリスマスまではまだ時間があるので、それまでどうするかということになります」
「『大いなる遺産』や『二都物語』も魅力ある物語だと思うけど、夏山さんはどう思う」
「ぼくもそう思いますが、どちらも一度の朗読会で読み終えるのは無理だと思います。複数回に分けることもできますが、イントロダクションをつけて1回で終わるようにするという方法があります。ぼくはこちらの方がいいと思います」
「イントロダクションってどんなものですか」
「物語のあらすじとそこに至るまでの経緯です。これがあれば、長時間の朗読会を短くすることができます。ただその物語の味わいを薄れさせるものなら、全文を読んでもらう方がずっといいでしょう。これはぼくの思いつきなので作成できるかどうかわかりませんが、ディケンズの小説には魅力的な登場人物がたくさん登場するので、面白い場面を抜き出して朗読用台本にするのも面白いと思います」
「朗読をする方もそういう台本があると感情移入がしやすいから、あるといいね」
「わしらも3時間も4時間も朗読会をするより、1、2時間で終わる方がいいと思っている。1時間くらいの台本を2つくらい読んでもらうのがいいんじゃないかな」
「それでそのイントロダクションは誰が作成するんだい」
「時間が掛かるかもしれませんが、ぼくが作成します。できあがったら、荒木先生にお渡しします」
「私は、大好きな『二都物語』のクライマックスあたりを抜き出して台本にしてほしいな」
「『ディヴィッド・コパフィールド』なんか名場面がいっぱいあるから、どこを取るか決めるのが難しいですね」
「なあに、いいと思ったら、いくつでも作成すればいいさ。夏山さんはいつ作ってくれるのかな」
「もう少ししたら、ゴールデンウィークに入りますから、台本の作成を精一杯やってみます」
「例えば、6月とか、朗読会はできるのかな」
「先生のご希望なら、5月中に台本は作ります。ただあらすじとそこに至るまでの経緯を合わせても40分位でしょう。残りの1時間くらいは、先生がどうするか決めてください。もちろん1時間程で朗読会を終えるのもいいと思います。ぼくの朗読用台本が10ほどできたら、2本立てでやってもらってもいいのですが」
「荒木先生、それじゃあ、こちらでゆっくり「夏の夜の夢」を聞いてください。われわれはもう少し打ち合わせをしますので」
「うんうん、こちらで寛がせてもらうとしよう」
「ところで夏山さん、新聞のことですが...」
「それなら慌てないでいいですよ。ただ荒木先生が朗読会をされると言われたので、それの告知は必要だと思います。間に合わなかったら、ポスターでもいいですよ。連休中に台本を作成して、連休が明けたらまた来ます。それまでにいいアイデアが浮かんだら...」
「私は新聞をどうするか考えます。父親は朗読会が盛況になるようにいろいろ考えるんじゃないかな」
「わかりました。じゃあ、ぼくはこの辺で失礼します」