プチ小説「こんにちは、N先生16」
私は最近、午前6時に家を出て勤務先に向かうのですが、勤務先の最寄りの駅で降りて橋を渡り、川沿いの堤防を歩いているとN先生が現れました。私は昨晩『失われた時を求めて』の最終巻『見出された時』を読み終えたので、もしかしたら先生にお会いするのではと思っていました。
「ようやく最後まで読み終えたね。どうだった」
「以前、風光書房の店主に『失われた時を求めて』の感想を尋ねたことがあるんです」
「確か店主さんはフランス文学がご専門で大学時代はヴァレリーの詩を研究されていたんだったね」
「そうです、それで感想を尋ねたんですが、『花咲く乙女たちのかげに』のメタファー(隠喩)が凄いということを話されました。私は物語の全体の感想を聞きたかったのですが、その巻についてだけ話されました。またディケンズ・フェロウシップの理事をされている先生にこの小説を読まれたかを尋ねましたが、通して読む小説ではないというお話でした。確かに『失われた時を求めて』は、内容はともかく『スワン家のほうへ』『花咲く乙女たちのかげに』『ゲルマントのほう』『ソドムとゴモラ』までは完成した小説として読むことができると思います」
「微妙な言い方だね」
「ええ、『ゲルマントのほう』は貴族のサロンの話が中心でほとんど興味が持てませんでした。主役のゲルマント公爵夫人も魅力がある人物と言えませんし、『ソドムとゴモラ』は同性愛者のシャルリュス氏とアルベルチーヌ(話者の思い込みに過ぎないかもしれない)が主役ですが、このふたりも魅力に欠けます。シャルリュス氏は怒りっぽい、中年のおやじですが、アルベルチーヌは『花咲く乙女たちのかげに』では話者の心をときめかせた女性なのになんでこんな扱いになってしまうんだろうという感じです」
「アルベルチーヌは『囚われの女』『逃げ去る女』では頻繁に登場するけど、そこでもやはり精彩を欠くのかな」
「おっしゃる通りです。それに話者もアルベルチーヌと一緒に暮らし始めたのなら、もっと関係を大切にしたらいいのにと思います。アンドレと恋愛関係があると思い込み、一向に恋愛が進展しない。アルベルチーヌに愛想を尽かされ、家から立ち去られてしまいます。『囚われの女』以降は未完成の部分が多く、特に『見出された時』は読むのに苦労しました」
「『見出された時』の最初のところで、ジルベルトと久しぶりに二人きりで話したりしたけど...」
「結ばれてハッピーエンドというのではないですね。ただ『見出された時』と看板を出したので、少しはそれらしきことが語られています」
「ほう、それはどこかな」
「筑摩書房プルースト全集第10巻第7篇『見出された時』の307ページから308ページにかけて、「すると、芸術作品こそ失われた時を見出す唯一の方法だと私に認めさせたあの光ほど目ざましいものではむろんなかったが、一筋の新しい光が私のなかにさしこんだ。そして私は理解した、文学作品のそうしたすべての材料は、私の過ぎさった生活であった、ということを。私は理解した、そうしたすべての材料は、私によって収納された浮薄な快楽や、怠惰や、愛情や、苦痛などのなかから、私にやってきたのだった、その私は、それらの材料の用途も、それらの生きのこる力さえも、見通してはいなかった、そんな私は、やがて植物をやしなうべきすべての栄養を自分のなかにたくわえている種子のようだった、ということを」と書かれています。この芸術の真髄、いや人生の本質ともいうべきものを見出したので、『見出した時』なのだと思いたいですが、477ページに「フオーブール・サン=ジェルマンでは、ゲルマント公爵ならびに公爵夫人、シャルリュス男爵などの、表向きは陥落しそうもなかったあの地位が、人の考えもしなかったある内的原則の作用によって、すべてがこの世界では変化するという文句の通りに、その不可侵性を失ったのであった」と書かれてあるように、どんな人物であっても例外なく時が経過してその人の魅力や勢力がなくなれば、陥落してしまうということを見出したのだとも考えられます」
「うーん、そうなると話者にとって女性の理想像のような存在だったゲルマント公爵夫人も、スワン、ベルゴット、エルスチール、ヴァントゥイユ、アルベルチーヌと同様に一時は魅力的で信奉したが、だんだん飽きて来て嫌になったということかな」
「まあそこまでは言いませんが、話者は飽きっぽい性格なのかもしれませんね。私はこの小説について2つ言いたいことがあります。ひとつは『ゲルマントのほう』で貴族社会を描いてその方面の人々にパトロンになってもらおうとしたのかもしれませんが、もっと純粋な気持ちを持続して小説を書いてほしかったということ。もうひとつは『ソドムとゴモラ』で同性愛を描いて、当時流行していた耽美主義の輪の中に入りたかったのかもしれませんが、自分の趣味だけに留めておいてほしかったということです。プルーストの話は結構面白いので、それなりに楽しめましたが、未完成の『囚われの女』『逃げ去る女』『見出された時』は未完成なので話を繋いで行くのに苦労しました」
「いいことを教えよう。井上究一郎著『かくも長い時にわたって』を読んでみたら、プルーストの意図がわかるかもしれないよ」
「そうですね。私が読んだのも井上訳なので、読んでみようと思います」
「それで今度はディケンズの小説の再読を始めるんだね」
「いいえ、たまたま読んだ、O・ヘンリーの『水車のある教会』に感動したので、大久保康雄訳を読み直してから、光文社と岩波書店の短編集も読んでみようと思っています。それから風光書房で買ってそのままになっているモリエール全集も読み終えたいと思っています。実は、私の読書の習慣を根付かせてくれたのが、モリエールの戯曲なんです」
「そうか、それなら、それらを読んだ頃に現れるとするか」
そう言って、先生は、昔、陸上短距離の金丸祐三選手もトレーニングしたという河川敷から堤防に上がる坂道で全力疾走を始められたのでした。