プチ小説「登山者10」
山川は40代半ばから50代初めにかけては、比良山でトレーニングをして梅雨が明けた頃に槍・穂高に登ったが、最近はゴールデンウィークに一、二度比良山に登るだけになってしまった。そのためか体重も80キロを超えて靴の紐を結ぶのにも苦労するほどだった。山川の体形が変わってしまったのは、筋力トレーニングを怠ったからだが、そのさまたげになったことが2つあった。ひとつは50代半ばから2年間続いた肩関節周囲炎(五十肩)だった。腕を動かすと激痛が走り、腹筋、背筋、腿上げが満足にできない程だった。もうひとつは引越しの準備で半年かかり、その間筋トレをする時間が持てなかったことだった。山川は収集癖があり、ありとあらゆる本、レコード、CR,DVDを収集していたが、引越しを機にいらないものは捨てて行こうと考え、押し入れに眠っていた収集品の整理に時間がかかったのだった。50代初めに71キロで75キロをキープしていた体重は、五十肩が治った頃には78キロになっていて、引越しが終わった頃には80キロを超えていた。
ここのところゴールデンウィークに比良山に登るのには理由がふたつあった。山に登って身体を清めたい、ゴールデンウィークならへとへとに疲れても休み明けには回復するという理由だった。山川が比良登山を始めた40代初めの頃から、比良山に登ると山の空気が心を清めてくれるのか、困っていた事態が好転して連休の前の悩みが雲散霧消するのだった。そして疲れを残さないというのが何よりの理由だった。太腿、膝、脹脛が動かせない程はれていても、ゴールデンウィーク明けには回復していた。
ゴールデンウィークの前半に山川は比良山に行くことを決め、4月28日の午前6時半頃にJR比良駅で下車した。いつもより30分早く着いたのは体重が85キロほどになり膝への負担が今まで以上にあると思ったので、余裕をもって無理がないようにしようと考えたからだった。それでもここのところ腿上げだけは連日40分していたので、青ガレまでは予定より少し早く着いた。青ガレの急な斜面を三点支持で登る際にお腹の出っ張りが気になったが、それでも何とか金糞峠まで登ることはできた。金糞峠に着いた時は空腹感もなく、八雲が原湿原近くで昼食を取ると武奈ヶ岳を目指した。
金糞峠の手前あたりから右足首が痛くなり、足首が痛くなったのは初めてだったので気になった。今まで4月に武奈ヶ岳を目指した時に二度雪に行く手を阻まれ、やむなく下山したことがあったが、今年は2ヶ所5メートルほど雪の上を歩いたくらいで済んだ。武奈ヶ岳山頂の手前でいつものように息が上がったが、いつものように一気に上がるようなことはせずに休みながらゆっくりと登ったので問題はなかった。武奈ヶ岳山頂の向こう側に行くと伊吹山がよく見えた。その左手を見ると遙か向こうに際立つ白い雪山が見えたので、白山かなと山川は思った。
山川は足首の痛みもなくなり、ワサビ峠、中峠を通過し、金糞峠まで沢に沿って下っていたが、足場のない斜面で足を滑らせ左足の太腿の鼠蹊部近くまで沢の水に浸かってしまった。近くにふたりの男性が休んでいるのが見えたので、山川は照れ隠しに、ここは危ないですね。いつも気を付けて通るんですが、今日は足を滑らせてしまいましたと言った。30代くらいの男性が、「このあたりは通り道がわかりにくく、この道で金糞峠に出られるのか心配なんで、ふたりで話していたんです。この道で間違っていないでしょうか」と話すと一緒にいた50代くらいの男性が頷いた。ふたりとも速乾性の登山ウェアを身に着けていたが、帽子と登山靴を身につけてはいるもののジーパンにTシャツ姿の山川とは大違いだった。山川は、「ぼくは比良山に4、50回登っています。この道で間違いないですよ」というと30代の男性は、「それじゃあ、金糞峠まで道案内してもらえませんか」と言った。「でも、ぼくは...」山川が話を続ける間もなく、ふたりの男性は下流へと歩き出した。
途中から、山川が先頭を歩くようになったが、どう考えても初心者のような自分が先頭を歩くという異常なシチュエーションを受け入れるということができなかった。それで山川は、ここから先、通り道は明らかで、迷うことはありませんよと伝えて後ろに退こうとしたが、ふたりに手で促され、先を歩いた。3ヶ所ほど石の上を歩いて沢を横切るところがあったが、足を滑らせてお尻から落ちはしないかと心配だった。金糞峠に着くとようやく山川は解放され、ふたりの熟練者は先に下りて行った。
山川は、金糞峠から青ガレへと下る急坂で下肢の痛みを思い出した。今度は膝と脹脛が痛んだ。いつもの倍以上の痛みで歩行も困難なほどだったが、イン谷口からJR比良駅までのバスにも乗らず(ふたりの熟練者がバス停にいたので、山川は手を振った)、心地よい激しい痛みで足を引きずりながら家路を急いだ。