プチ小説「たこちゃんの創作」
オリジナルワーク クリエイシオーン シェプフンク というのは創作のことだけど、一から独創的なものを生み出すことは難しい。だからぼくは本やインターネットなどからいろんな情報を掬い上げて自分の創作活動の礎としてきた。『こんにちは、ディケンズ先生』だって、ディケンズの長編小説のエッセンスを自分なりに消化して、取り入れたつもりなんだ。だけど決してオマージュというわけではなく、ディケンズの小説の愛好家として彼が登場する楽しい小説を書いてみたいと思ったのだった。神様や師として文豪を信奉したり仰いだりするということではなく、生涯の大切な友人として折に触れて彼の作品を読み、その都度新たな境地を切り開いて行く力を与えてもらっている。ぼくはディケンズが善人と確信している。その性格が顕著に現れている、つまりは勧善懲悪の小説は、『デイヴィッド・コパフィールド』ということになる。『オリヴァ―・トゥイスト』『荒涼館』『リトル・ドリット』なども主人公が善人で紆余曲折を経て明るい未来を築き、悪人は徹底的に懲らしめられるという内容は同じだが、活劇を見ているような躍動感は『デイヴィッド・コパフィールド』が最も顕著で、優れているんだ。『大いなる遺産』は主人公ピップがどちらかというと善人とは言えず(でも頻りに自分がやったことを後悔する)、人間関係を疎かにしたり放蕩に耽ったりするが、その分典型的な善人のジョーがピップの前に現れて、そんなことをしていてはだめだよとそれとなく諫めてくれる。このようにジョーがピップをしばしば軌道修正しているので、『大いなる遺産』も前出の4つの小説と同様に安心して読める小説となっていると思う。この他にも『ピクウィック・クラブ』『二都物語』も優れた小説だと思うが、今後もこの5つの小説を中心に何度も読み返して、自分の創作活動の糧にしたいと考えている。駅前で客待ちをしているスキンヘッドのタクシー運転手はスポーツ紙を生涯の友とし場外馬券を週末に購入しているようだが、勤勉で家庭を大切にしているよう思う。しばしば羽目を外すぼくを優しく指導するところなんかはジョーに似ているが、本人はそのあたりのことをどのように考えているんだろうか。そこにいるから訊いてみよう。「こんにちは」「オウ ブエノスディアス アル クラロ デ ルナ ディスティンヘ ビエン ラ センダ デル ハーディン」「そうですよね。月明かりがあると夜道も安心して歩けますよね」「そうやわしの場合もビームで船場はんの足元を照らしているんやで」「ありがとうございます。でもあまりに本が売れないので、スペシューム光線なんかでも照らしてもらえたらありがたいです」「残念ながら、わしはただのおっさんやからそんなことはようせんわ」「でも勤勉で家族を大切にされているんだから、それだけでぼくよりずっと人類に貢献していると思います」「そらそうやけど。ところで船場はん最近ホームページの更新してなかったけど、なんかあったんか」「いえいえ地道にやっているつもりです」「わしはディケンズ・フェロウシップに関しての読み物が少なくなったのが物足りないと思っとるんやが」「確かに、朗読用台本や登場人物紹介の更新はありませんね。でも会員の方にピアノ伴奏をしていただいてクラリネット演奏をしてその演奏を掲載しています」「そう言うけど、この前の船場はんの母校で秋季総会をした時の演奏はホームページに載ってへんけど」「それは録音機器の故障があったので...」「超ビジュアル小説と副題を付けた小説を書いたり、ライカM9で撮影した写真をようけ掲載しとるけど、写真撮りに行ってる暇があったら、「こんにちは、ディケンズ先生」の続きを書いたらええのにと思うんやけど」「いろいろ心配されているのですね。でもぼくなりに考えているのですよ。「こんにちは、ディケンズ先生」の続編を書くことに暇な時間を使っていたら、1000話くらいは行っているでしょう。でも『こんにちは、ディケンズ先生』が売れない今、他の小説を書いて模索するのもありだと思います。またクラリネットを吹いたり、写真を撮りに出掛けて気晴らしをすることも必要だと思います。気晴らしと言っても少しは創作活動の肥やしになっていると思っています。『こんにちは、ディケンズ先生』は12月までに第2巻の改訂版が出て、来年の3月に第3巻が出ることになっています。その反響を見て、今後のことを考えたいと思っています。独り相撲を取っても仕方がないのは今までを振り返って見ると明らかなのですから」「そうなんやね。そしたら船場はんは売れた時のことを考えて、うさぎとびやリヤカーごっこをするっちゅーことは、どう思ってるん」「それはもう、三度のご飯より大切なことやと思っています」と言うと鼻田さんがぼくの背後にまわったので、ぼくはリヤカーごっこができるように腕立て伏せの姿勢をとったのだった。