「長崎旅情」(これは紀行文です)

私は、高校2年生の頃に家族旅行で長崎を訪れたことがあるのですが、ふと長崎の夜景を見たくなり、43年ぶりに2度目の長崎訪問をしたのでした。高校2年の時には確か佐賀県の呼子で新鮮なイカを食べて一泊した次の日に長崎に来たと記憶しています。その時の長崎訪問で記憶に残っているのは、駅前でタクシーを拾い、タクシーの運転手さんが推薦するちゃんぽんの店に連れて行ってもらったこととグラバー園に行ったことでした。タクシーの運転手さんは、一番有名な店(多分、四海楼)ではなく私がいつも行く店に案内すると言われ、大衆食堂のような店に連れて行かれました。食堂の中で、運転手さんがなぜか文化大革命の話をされ、私が知らない(もしかして名誉革命とかフランス革命だったらわかったかもしれませんが)と言うと、なんだ高2なのにそんなことも知らないのかと言われたことが強く記憶に残っています。そのあとグラバー園やオランダ坂辺りをぶらぶらした後、宿泊する矢太楼というそこから見える夜景がウリのホテルに泊まったと記憶しています。先程も言いましたが、長崎の記憶の一部が鮮明に残っていてその前後にどこに行ったか、(その家族旅行で熊本の水前寺公園に行った気もします)あまり覚えていません。タクシーの運転手さんのおかげで私の脳裏にその時の記憶が刻み込まれたのかもしれません。



連休で朝一番の新幹線の指定席が取れず、午前8時30分過ぎ新大阪発ののぞみでまず博多まで行きました。博多で特急つばめに乗り換えましたが、何度も列車の行き違いで停車し、20分位遅れで午後2時頃に長崎に到着しました。



空腹だった私は駅構内の観光案内書で観光マップを入手するとすぐにタクシーを拾い、運転手さんに四海楼に行っていただくようにと言いました。社内での話題はチャンポンでしたが、運転手さんは浦上天主堂近くによく行く店があると言われていました。この後、帰阪するまでに2台のタクシーを利用しましたが、2番目のタクシー運転手さんと3番目のタクシー運転手さんは、二人とも原爆資料館の近くにある寶來軒のチャンポンをよく食べると言われていました。今回は浦上天主堂や平和公園の方には行けなかったので、次回には平和公園と合わせて、寶來軒を訪れてみたいと思います。
大浦天主堂とグラバー園を訪問してから、タクシーで稲佐山へと向かいました。地図で見ると長崎駅から稲佐山のロープウェイ乗り場までは近いように思いましたが、タクシーの運転手さんに尋ねると歩くのは大変のようでした。それで運転手さんが言われるように、帰りは稲佐山山頂にタクシーで行かれる方がいるので、そのタクシーが帰るところを捕らえることにしました。それでもロープウェイの往復乗車券を購入して午後5時前のロープウェイに乗りました。すぐに展望台に上り、明るいうちにカメラに三脚を取り付け夜景撮影の準備をしました。午後5時半を過ぎると夕焼けの中にぽつりぽつりと電灯がともり始めました。



最初は視野に長崎市街の中心部が入らないところで撮影していましたが、折角長崎に来たのだからと決断し、左手の方に移動しました。柵の前には中国人の4人家族が試行錯誤(というのは手すりが高く三脚に乗せて撮影できないため)していましたが、20分ほどしてその場を離れました。私はチャンス到来ということで、広角レンズ(35mm)、望遠レンズ(90mm)、超広角レンズ(21mm)の順に夢中になって写真を撮りました。



もう一度チャンポンを食べてから帰ろうと思った私は午後6時30分には道具を片づけ始めました。展望台の駐車場に向かって歩いていると丁度2台タクシーが上がってくるのが見えました。私はすぐにタクシーに駆け寄り、客が降りるとタクシーの運転手さんに長崎駅まで行けますかと声を掛けたのでした。3,000円はかかると思ったのですが、2,000円以内でした。タクシーの運転手さんは福山雅治さんの実家はここだよと教えてくれました。
その後、長崎駅の駅ビル(アミュプラザ)に入り、CDの販売もしているメトロ書店で内山田洋とクール・ファイブのベストアルバムを購入し、5階の皇上皇という店に入りました。お腹が空いていたので、チャンポンと豚角煮丼を食べました。
行きは新幹線と特急電車を乗り継いで来ましたが、宿泊して同様の交通機関を利用して帰るという余裕がないため、ユタカライナーという午後8時30分の夜行バスを利用して帰宅しました。4人掛けで窮屈で、社内にトイレはありませんでしたが、神戸三宮駅前で下車するまで4度のトイレ休憩があったのでまあまあ快適でした(あまり眠られなかったですが)。
私の場合、長崎訪問が43年スパンだとすると次は103才ということになりますが、それまでにもう一度寶來軒のチャンポンを食べに長崎に来たいと思います。