プチ小説「いちびりのおっさんのぷち話 一発勝負は危険編』

わしがちいこい頃に親父は週末たまに馬券を買うてええ結果が出るのを楽しみにしとったが、わしや弟が小学生になる頃にはお金がかからない野球の審判や野菜作りに精を出すようになったんや。というのは子供の教育費のことを考えたら、1,000円いや100円でも無駄にでけへんと考えたからやと思う。審判は走り回らなあかんし、野菜作りでは鍬を振り下ろさなあかんから結構運動になったと思うし、一時の快楽に浸るために身銭を切るという変な気を起こさんでくれて本当に有難かったと思うとる。母親もパートをして家計を助けて、中学から高校にかけて家族旅行に行くことも可能になったんや。中2の時には箱根と東京、高1の時には熊本と鹿児島、高2の時には佐賀と長崎、高3の時には日光、那須、塩原に家族で出かけたもんやった。今にして思えば、その時の写真を少しでも残していたら、マドレーヌを食べて記憶が蘇ってくるように写真を一見して当時のことを懐かしむこともできたのに、ほんまに惜しいことをしたと思うんや。それでしゃーないから、今になってひとりで昔、家族旅行で行ったところを訪ねてるんやが、やはりひとりというのは自由にあちこち移動できるというええとこがあるかわり、家族で賑やかに笑顔溢れて旅行するというわけに行かんから、寂しいもんや。船場は最近、長崎に行ったちゅーとったが、そんな気持ちで出掛けたんやろか。あいつが行った家族旅行は当然わしと同じやから、今後、呼子に行ってイカ(ヤリイカ)の活け造りを食べたりするんやろか、訊いてみたろ。おーい、船場ーっ、おるかー。はいはい、にいさん、私が家族旅行で訪ねたところに旅行するかどうかということですね。そうや、あんた、長崎に行ったちゅーのも、そんなノスタルジックな気持ちからとちゃうんか。まあ、そうなんですが、40年以上前の記憶というものは強い印象が残らないと風化してしまうのです。本当のところは、はっきりした記憶がないのです。そしたら家族旅行で鮮明な印象が残っとるのちゅーたら、どんなんがあるんや。あまり言いたくないことなんですが、家族旅行で一番記憶に残っているのは、日光東照宮でおみくじを引いて、凶が出たことです。だからあと100年生きて、記憶が朦朧としてきてもこのことはしっかり覚えていると思います。そらそら気の毒なことやったなぁ。そやけどもっとええことなかったんかいな。そうですね水前寺公園の近くの食堂に入って注文して1時間経っても料理が運ばれて来なかったこととか...。あんたせっかくおっとーやおっかあが身銭を切って遠くまで連れて行ってくれたのに、そんなことしか覚えとらんのかいな。両親に申し訳ない気もするのですが、残念ながら、印象に残る場面というのが頭の中に残っていないのです。長崎に行こうと思ったのは、当時を懐かしんだのもありますが、その時に会話によく出てきた、夜景、チャンポン、グラバー園を再体験したくて行って来たということです。そしたらもう一回日光東照宮に行って、おみくじを引くということもするんか。いえいえ、そのおみくじのトラウマから脱出するのに随分時間が掛かったのです。そういうことに神経質な私は就職して3、4年するまで、つまり10年以上、私の人生に吉はないと考え、おみくじを引くのを控えていました。家族旅行とは関係ないですが、神戸と長崎の夜景を撮ったので、近いうちに函館の夜景を撮りたい気はします。来年3月に『こんにちは、ディケンズ先生』の第3巻と第4巻が発売されるので、販売促進のために全国の図書館巡りなんかをしてみたいと思っています。いっそのこと、5、6、7も出したら、どないや。まさか、一から書かないといけないので、1巻出すのに2年はかかります。それにお金もかかります。仕事をやめて書くのに専念すれば、いろいろなことが可能になるのでしょうが、金銭的に余裕のない私には、平日に働いて、週末に小説を書いたり、趣味に励む(?)ということしかできないのです。船場もわしと同じで勝負には弱いみたいやから、状況をよく考えて大枚はたくかどうかを決めるんやな。そうですね、もちろん行けそうだったら、頑張りますよ。