プチ小説「卒業」
卒業式の前日というのに、南川は百貨店の宅配のバイトに励んでいた。集荷場に戻ると、バイト仲間の中元が声を掛けてきた。
「南川さん、明日、卒業式だというのにバイトですか。同級生で遠く離れて住むことになる友人もいるだろうし、この大切な時間をもっと有効に使ったらどうですか。ぼくは留年が決まったから、バイトに励まないといけないけれど、南川さんは...」
「確かに君の言う通りなんだが、ぼくは奨学金の返済もあるし...」
「奨学金の返済なんかはいつでもできますよ。ところで飲み会のお誘いなんかないんですか」
「在学中ずっと親しくしていた何人かの同級生と週末に飲みに行く約束をしている。それくらいかな」
「卒業式は出られた方がいいと思うんですが」
「そうかな、総代の人が答辞を読んで...。蛍の光を歌うのかな。実は卒業式のことはよくわからないんだ」
「普段は南川さんやぼくのようにバイトに明け暮れている人がもう一度同じ校舎で過ごした友の顔を見られるというので、やってくるんです。これで見納めなんだと」
「そうだなあ、1回生、2回生の頃は語学や一般教養科目が取られないと留年するというんで、みんな授業に出ていたけど、3回生になるとクラスメイトと会う機会がほとんどなくなった。1回生の頃からの友人や同じゼミの人としか顔を合わさなくなった。中にはもう一度会って話をしたい学友もいるのはいるけど」
「そう、それだったら、明日のバイトはやめて、卒業式に出て下さい。きっと忘れられない日になりますよ」
「よし、わかった。事務所に行ってくるよ」
南川はいつも西院駅から歩いて衣笠までやって来たが、今日は西院駅から市バスに乗り、衣笠校前で降りた。
「卒業式だから、スーツにネクタイを着用しなければならないと思って、入学式の前に購入したスーツを着てきた。安価だけれど黒の革靴を購入した。スーツがかなり窮屈だけれど、カッターシャツはそれ以上だな。さっき一番上のボタンを留めてみたけど、血流が止められてゆでだこのような顔になっていた。一番上のボタンを外したら、不良と思われないかな」
南川が東門に到着したのは、卒業式が始まる10分前だった。卒業式の会場の体育館の前まで行くと3回生の頃に憧れた女の子がいた。その女の子はいつも黄色のTシャツとジーンズを着ていて、冬場もデニムのジャケットをはおるくらいだった。今日はグレーのスーツを着て、コートを手にしていた。南川は思った。法職に就きたいと言っていたけど、うまく就職できたんだろうか。南川が体育館に入ると、大学時代に親しくした友人たちが南川に声を掛けた。
「こんにちは、南川。君も来たんだね。君を一目見たいと言っている友人がたくさんいるよ」
「えっ、まさか」
「そりゃー、君は思い込みが激しいから、極々親しくしていたわれわれだけが別れを惜しむと思っていたんだろうけれど...」
「そうだなー、南川は一度思い込んだら試練の道を行くから、奨学金を返さないといけないと思うとバイトに励むんだ。あれだけバイトをして4年で卒業できるなんて、奇跡としかいいようがない」
「それは皆さんのご協力があったからで、この場を借りて厚く御礼申し上げます」
「さあ、このあたりに1、2回生一緒だった学友がいるよ。この人たちは君がドイツ語の訳本を提供してくれたから卒業できたと感謝しているよ」
「そんなこともあったね。でも学生生活って充実していたなぁ。あっと言う間だったけれど」
「そうさ、あっと言う間と言えるのは、卒業式という人生の節目に然るべき場所に立っているから言えることで、それを拒む手はないと思うよ」
「そうだね、ここにこうしていることに感謝しないとね」