プチ小説「プチ「炉端のこおろぎ」」
ディケンズの小説の大ファンである高川は、いつもの喫茶店で『炉端のこおろぎ』読み終えた。ふと最後のページに目をやると最新刊書『蜜蜂マアヤ』ポンゼルス著と書かれてあった。高川はふと数十年前のアニメのことを思い出した。
<そう言えば、ぼくが高校生の頃に「みつばちマーヤの冒険」というアニメがあったなぁ。当時は動物や昆虫が人間のように心を持ち、話したり、泣いたり、笑ったりするのに大きな違和感を持ったんだったが、今はそれもありかなと思ったりする。実際にはありえないことでも、創作の舞台は書き手が好きなように設定できる。遠い昔の話や幼い頃の話として自由に登場人物を設定できるし、それを動物や昆虫にしたら、もっと自由に小説が書けるんじゃないかな。この『炉端のこおろぎ』という小説も主役はジョン・ピアリビングル家の炉端でチャープ、チャープと鳴くこおろぎなんじゃないかな。こおろぎは鉄びんと張り合って鳴いたり、妖精となってジョンの前に現れたりする。妖精と話すことで熱くなっていたジョンの感情が冷静になり、大きな災いを起こさずに済んだわけだが、ぼくは、ジョンのことをヂョンと表記し、こおろぎがチャープ、チャープと鳴く本多顯彰訳の岩波文庫の方が好きだな。そんなことを考えていたら、眠たくなってきた>
店内に客がおらず静かだったこともあり、高川は夢の世界に入っていった。
「うーん、これは子供の頃よく草野球をした広場だな。なんでこんなところにいるんだろう。おや、人がやってくるぞ」
「やあ、高川さん、お久しぶり」
「あっ、あなたはレッツゴー三匹のじゅんさんじゃないですか」
「そうよ、巨大なこおろぎだとあなたがびっくりして腰を抜かすと思って、姿を変えたのよ」
「そうですよね。ぼくらが幼少の頃のアニメの動物や昆虫はどこか愛嬌があったけど、実写でぼくらと背丈が同じだと腰を抜かすでしょうね」
「それでこんな感じになったんだけど」
そう言って、こおろぎの妖精は目をくりくりさせてポーズをした。
「そうなんですか。でもなんでこおろぎのあなたが僕の前に...」
「あなた、この景色懐かしくない」
「一所懸命思い出していたんですが、今思い出しました。ぼくが高校生の頃、弟がデンスケ(高性能の録音装置(レコーダー))を購入したんで、弟に付き合って近くの広場に虫の声を録音しに出かけたことを」
「そうそう、よく思い出してくださった」
「でも、その話と『炉端のこおろぎ』やアニメ「みつばちマーヤの冒険」とどのように結びつくのか。それにわざわざ、レッツゴー三匹のじゅんさんが出てこられたのか。ぼくはあなたのファンなので、お会いできてうれしいのですが」
こおろぎの妖精はまた目をくりくりさせて言った。
「これからは、もっとディケンズの長編以外の小説を読んでほしいの。この『炉端のこおろぎ』の他にも中編小説は『クリスマス・キャロル』『憑かれた男』もあるわ。私があなたに言いたかったのは、そのことともっと自由に空想を膨らませていた幼い頃の記憶を手繰り寄せて面白い物語を創作したらということ。動物やこおろぎにならなくてもなくても、その頃の話なら、こまかい気を使わなくていいから、今まで以上に自由に創作できるんじゃないかと思うのよ」
「おお、これからはーですね。わかりました。あなたから教えていただいたことは大切にします。」
「そう「これからはー」よ。頑張ってね」
こおろぎの妖精の姿が消えると、高川は起き直った。店の隅っこでチャープ、チャープとこおろぎの鳴き声が聞こえた気がしたが、高川は『炉端のこおろぎ』を鞄に入れると店を出た。