プチ小説「青春の光89」

「は、橋本さん、今日も暗い顔をされてますが...」
「そうなんだ。船場君のことを思うととても気の毒で」
「感染症の影響で図書館が休館になって、『こんにちは、ディケンズ先生3』と『こんにちは、ディケンズ先生4』が受け入れてもらえないと言われてましたね」
「まだ図書館が閉館のままなので受け入れてもらえないのだが、それだけではないんだ」
「第72回LPレコードコンサートのことですよね。3月22日は自粛されたんですね」
「そうさ、船場君はLPレコードコンサートの時に自著を紹介するんだが、その機会も奪われてしまった。3ヶ月に1度、船場君は東京に行くのを楽しみにしているんだが、それも諦めた」
「でも万一感染をしてしまうと大変なことになります」
「そうなんだ、それで船場君は自粛したんだが、この状況がいつまで続くのかと思う」
「でも船場さんのことだから、何か面白いことを考えるんじゃないですか」
「その通りだ。今、船場君が考えているのは、『炉端のこおろぎ』を朗読用台本にしようということなんだ」
「そう言えば、14の長編小説(『エドウィン・ドルードの謎』は未完)の他にも、『クリスマス・キャロル』とか、ディケンズにはいい中編小説がありますね」
「私は、『憑かれた男』『炉端のこおろぎ』もなかなかいいと思っているんだ」
「でも『炉端のこおろぎ』は、特に人物描写の不適切な表現が多いので、朗読用台本にはし難いんじゃないかな」
「ヒロインのメアリー・ピアリビングルや盲目の少女バアサ・プラマアの表現の仕方に問題があるので、メアリーの通称は言わないで、バアサは盲目の少女またはバアサと呼ぶようだ」
「他の登場人物の交通整理も必要じゃないかと思うんですが、例えば、メアリーの友人メイの幼馴染エドワドとか。まああまり細かいことを言ってしまうと楽しみがなくなってしまいますが、バアサの父親がケイレプ・プラマアで、意地悪なおもちゃ屋がグラフ・タクルトンというのは知っておいた方がいいかもしれないですね」
「炉端のこおろぎは鳴き声だけでなく...」
「そこのところは読んでのお楽しみにしておいたほうがよいと思います。全部で100ページ以上あるので、船場さんは前半部分を前向上で説明をしてから、後半の部分を台本にされるのでしょうか」
「まあそんな感じだろう。メアリーの娘が生まれたての赤ん坊でこれが本当に可愛らしい、それからボクサー犬の描写も楽しい」
「他の登場人物はどうでしょう」
「やはりメアリーの夫のジョン・ビアリビングルの心の動き、喜びの絶頂から悲しみの極みまで味わうわけだから、この運送屋に興味や共感を持ったら、物語にのめりこんでいくことだろう」
「メアリーの娘の子守をしている、ティリ・スロウボーイ嬢はボーイがつくから男かと思っていました。またタクルトンと危うく結婚しそうになるメイのお母さんもフィールディング夫人と書かれてあると誰だっけと思ってしまう」
「そうなんだ、だから船場君はこの小説をわかりやすい台本にして、たくさんの人に楽しんでいただこうと思っているようだ。ところで田中君、この小説は、村岡花子訳と本多顯彰訳があるんだが、どちらがいいと思うかね」
「ぼくはやはりこの小説を面白くする、炉端のこおろぎの鳴き方で決めたいですね」
「ほう、どのような鳴き声なのかな」
「本多訳はチャープ、チャープ、村岡訳はチロチロなんです。この幻想的な(特に最後のところは印象的です)小説のこおろぎは普通の鳴き方では物足りないと思います」
「そうだね、村岡訳の方が分かりよいが、私もこおろぎの鳴き声と思えないような、チャープ、チャープの方がいいよ。ジョンの表記もヂョンの方が好きなんだが」
「・・・・・・」