プチ小説「いちびりのおっさんのぷち話 自転車は庶民の足編」
わしは小学校1年生の頃から自転車に乗っとったが、補助輪付きやった。3年生になっても補助輪1個付きで乗っとった。いつまでも公園でしか自転車に乗れないわが子を不憫に思うたんか、ある日父親が公園で特訓をしてくれたんやった。補助輪を外して、父親が荷台をつかんで押してくれた。何度か繰り返すうちに数メートル、父親が手を放してもペダルをこげるようになり、その距離が10メートル、20メートルと増えていったんやった。補助輪をつけてだとせいぜい公園の中をぐるぐる回るくらいやったけど、補助輪が外れると行動半径が広がって、自転車で友人の家へ出掛けるようになった。それでもせいぜい1キロ以内やった。小学校4年生になって、友人に誘われて記念切手を購入することになった。その友人が家から2キロ以上離れたところに切手屋があるちゅーたんで、自転車で行くことになった。記念切手の他、趣味週間や国立公園や花や魚の切手に魅せられて、毎月小遣いをもらうと切手屋に自転車で行っとったが、ある日急な下り坂でブレーキが効かず、T字を曲がり切れずに民家に突っ込んでしもうた。怪我もせんかったし自転車も壊れへんかったけど、しばらくは自転車に乗らん方がええんとちゃうということになり、2ヶ月ほど自転車に乗らんかった。もちろん家から遠い切手屋にも行かんかった。その頃の2ヶ月のブランクちゅーのは大きかったようで、他の趣味かなんかが興味の中心となって、切手屋には行かんようになった。やっぱりお金がかかるちゅーのがあったのかもしれん。当時、何とか手に入れたいと思っていたのが、「月に雁」やったけど、確か4、5千円はしたんやったと思う。10年ほど前に高岡駅で下車した折に、駅ビルに切手ショップがあっていくつか「月に雁」が並んどった。値段が違うんで店員さんに聞いたら、コンディションによって値段が変わるとのことやった。ほんでわしは奮発して、2番目に安いやつを買うたんやったが、確か三千いくらかしたんやった。自転車はその後も乗り続けとって、一時は自宅のある高槻から勤務先の吹田まで自転車通勤しとったが、2度女子高生に急な飛び出しをされて死にかけたんでやめてしもうた。今は、25年ほど前に購入したブリヂストン社製のチェーンがゴムベルトの3段変速の自転車を愛用しとるが、最初かまきり型やったんでハンドルを取り換えてもろうた。船場は身体がなまっとるんで、出来たらジョギング通勤したいちゅーとったけど、そんなことできるはずないわな。ほんで今日久しぶりに自宅から京阪枚方市駅までジョギングするちゅーとったけど、天気が良くなかっし、ほんまに行ってきたんやろか。訊いてみたろ。おーい、船場ーっ、おるかー。はいはい、1年ぶりに行ってきました。久しぶりに走ると変わったところがありました。そら腹が出すぎて、ウェアがはいらんようになったとかか。いえいえ、沿道の景色です。材木置き場がセブンイレブンに変わっていました。それから私は家を出て、芥川の堤防、淀川の堤防沿い、枚方大橋と行くのですが、淀川の堤防沿いのところを走ってびっくりしました。ほんだらその時尻から落っこちたんか。そんなことはしませんが、今までより高さ(海抜?標高?)が3メートルほど低くなっていて、見下ろして走っていた民家が同じ高さになって、道幅が広くなっていました。丁度高槻シティハーフマラソンのコースなので、ランナーのことを慮って高槻市が道路工事をしたんだと思います。ほんで船場、久しぶりに走ったから時間かかったんやろ。いつもの1.5倍くらい。いいえ、ほぼ毎日腿上げを30分しているので、いつもより、10分ほど長くかかりましたが、雨に遭わずに無事に帰ってきました。これからも月に2回くらいは行きたいですね。でも気温が25度以上になると体力を消耗するのでしばらくお休みとなります。4月くらいまでですかね。まあそれでもちっとは身体のためになるやろから、断続的でも続けたらええと思うよ。そうですね、私もそのつもりです。