プチ小説「青春の光90」
「は、橋本さん、どうかされたのですか」
「やあ、田中君、まあ、ちょびっとだけだが、いいことがあったんだ」
「そうですか、僕の周りは、感染症の話題ばかりで...。何かいいことがあるのなら、是非聞かせてください」
「この前にも言っていたことなんだが、船場君がディケンズの中編小説『炉端のこおろぎ』のプチ朗読用台本を完成させたことなんだ」
「そうですか、あの難解ではあるけど、とても心温まる中編小説ですね」
「そう本当にとても難解だ。でも船場君はいつものように前口上でこの小説の概略を説明し、自分で噛み砕いて消化して、わかりやすい台本にしている」
「でもそれほど心温まる小説がなぜ現役本で出版されていないのでしょう」
「それにはいくつか理由があるが、まず目につくのが、不適切な表現だ。盲目の少女や小柄なヒロインに対して不適切な表現を数限りなく使用している」
「当時は問題がなかったからでしょうか」
「でもこの小説の場合はヒロインの愛称として不適切な表現が50回くらい出て来る。これには翻訳家が頭をかかえるだろう」
「で、船場さんはそこのところをどのようにされたんですか」
「船場君はその言葉をメアリーというヒロインの名に置き換えた。また別の不適切な言葉を盲目の、盲人などに書き換えた」
「他にもありますか」
「私も、本多顯彰訳と村岡花子訳を読んだが、『クリスマス・キャロル』のスクルージの役割を、『炉端のこおろぎ』では玩具商のタクルトンがしていて、この人もスクルージのように最後は改心するのだが、攻撃的で、特に盲目の少女バーサに酷い言葉を浴びせる。スクルージは幽霊さんに諭されて、人間らしさを取り戻していく、だんだんいい人になっていくが、タクルトンは主役でないからか、最後のところで突然今まで自分がやって来たことを否定してみんなとダンスを踊るんだ」
「それもいいじゃないですか。頑固な性格の悪い紳士のまま一生を終えるよりかは」
「それからもう一つ気になるのは、場面の設定なんだ。第1章の最初のところで、ピアリビングル家の炉端の情景が描かれ、ジョンとメアリーが登場し、その後でタクルトンとのやり取りがある。第2章の最初でプラマーの仕事部屋にいるケイレプとバーサが描かれるが、ここにもタクルトンがやってきて、バーサに酷いことを言う。ここまでは場面がよくわかるが、問題はここからだ。第2章の途中から、突然、ピアリビングル夫妻がピクニックの準備をしている場面に変わるが、ピックニックの準備が出来て、出発する。どこかでプラマー父娘、メイとメイの母親、タクルトンと合流するが、いつの間にかプラマー父娘だけが仕事部屋に戻り、午後の仕事をしている。またその次の段落で夜になるが、プラマー父娘も他の飲み物を飲んだりトランプをしている人たちと一緒に寛いでいる。この後メアリーとエドワード・プラマーがこっそり話をする場面をジョンが目撃するのだが、この場所がタクルトンの事務所となっていて、いつのまに彼の事務所に来たのかと思ってしまうんだ。そうして妻が密会していると勘違いしたジョンはそこから一人寂しく自宅へ帰ることになるんだ」
「僕もここの舞台の転換がよくわからなかったんです」
「きっと読み方が悪いんで、理解できていないということなんだろうが、2つの翻訳では理解できなかった。でも船場君は、そこのところを消化して、わかりやすくこなれた文章にしている」
「まあ、そう言っても、ほとんどのところは両氏の翻訳に頼っているのですから、船場さんとしては、プチ朗読用台本のもとになるものを提供していただいた本多氏と村岡氏には感謝の気持ちしかないでしょう」
「そうなんだ。船場君が張り切って、久しぶりに台本を作ったのだから、たくさんの人に読んでいただけるといいね」
「ぼくもそう思います」