プチ小説「カメラはえ~よ」
新型コロナウイルスの蔓延で、函館の夜景の撮影どころか、京都植物園の花の写真も撮れないような状態だ。夜景は日が暮れるのが早くならないと撮影が難しいから、11月下旬までできないけど、早いとこ緊急事態宣言が解除されて、気軽に他府県に出掛けることが出来るようになればいいと思うんだ。でもそもそもぼくが写真撮影に興味を持ったのは、何が切っ掛けだったんだろう。ぼくの父親は、おそらく中古で購入した、マミヤ社製のレンジファインダーカメラを使っていた。ぼくが幼い時はそのカメラで父親が写真を撮っていたが、余り残っておらず、取扱説明書がなく恐らく勘に頼って、露出時間、距離を決めていたため、その多くは、露出オーバーやピントが合っていなかった。そこでぼくが小学校5年生の頃に母親がハーフサイズのバカチョンカメラ(距離は60センチ以上離れて撮る。暗いと赤い表示がファインダーの中に出る)というカメラを買って来た。父親はマミヤ製のカメラに愛着を持っていたので、オリンパスペンEE2(母親が買って来たカメラ)を使うことはなかったが、弟や妹やぼくはレンズを被写体に向けてシャッターを押すだけでよかったので、このカメラをよく使った。父親は自分の愛用カメラに興味を持ってくれないので、寂しそうだった。ぼくが小学校6年生の時に家族で生駒山に行ったときにフィルムのセットの仕方が悪くて、写らなかったことがあったが、そのとき以外はカラー写真もなかなかきれいに撮れ、写真も2倍撮れたので、重宝した。ただ大伸ばしした時には、「粒子が荒いなぁ」という不満が出た。ぼくが高校に入った時に、なぜか写真部に入ったことを親が喜んでくれて、ぼくが希望したオリンパスOM1を親がすぐに買ってくれたのも、そのあたりと関係していたのかもしれない。そこそこのカメラで、そこそこの写真が撮れる子供が家族にいれば、家族旅行の写真にいいものが残せるかもしれないと。もしかしたら母親はそう思ったのかもしれないが、家族の思い出のことなど少しも考えない自分勝手な高校生だったぼくは、家族旅行中に家族にレンズを向けることはなかった(何かをしていたんだろうが、覚えていない。ずっと居眠りをしていたのかもしれない)。今にして思えば、そういうときに親孝行ができたのにと思うが、そのときは思慮がなかった。それでも妹が結婚して、小学生となった2人の娘を連れて里帰りをするようになってから、なぜかぼくは彼女たちの写真を撮るようになり、3D写真なんかも撮ったりした。しっかりした被写体をいいカメラで撮りたいと思ったぼくは最高のカメラと言われるライカを購入しようと思い、大阪阿倍野の中古カメラ店で、ライカM6のボディと35ミリのレンズを購入した(1998年)。ぼくの仕事が急に忙しくなり、写真を撮る余裕がなくなったが、その後、50ミリや90ミリのレンズを購入した。一時中盤カメラを購入して、奈良や淡路島に行ったが、でかくて使い勝手が悪く、ペーパードライバーのぼくには運搬も大変ということで、購入した店に4分の一くらいの値段で売ってしまった。時代は既にデジタルカメラの時代に入っていたが、風景写真を撮るときはライカM6を使用した。ホームページを2002年から始め、風景写真を掲載したが、M6で撮影した写真をスキャナー取り込みして、ホームページに掲載していた。2019年にはM9を購入したが、M6のメリット(出来上がった写真がきれい、操作しやすい、最高のレンズが使える)の他に夜景の露出も完璧にしてくれる、モニターが見やすく使い勝手が良い、ISOを1枚毎に変更できるので便利、バッテリーとSDカードの残量がすぐにわかる、オートワインダーが使える、4000分の1のシャッターが切れるなどのメリットがある。昨年は、打ち上げ花火の写真や夜景を遠くから撮影したけど、今年は違った方法で夜間の写真を撮ったり、星のガイド撮影をしてみたいと思っている。でも基本は京都府立植物園で撮る花の写真なので、京都府立植物園が再開することが待ち遠しい。