プチ小説「名曲喫茶はえ~よ」
新型コロナウイルスの蔓延で、LPレコードコンサートの開催のために名曲喫茶ヴィオロンに行けないだけでなく、東京渋谷の名曲喫茶ライオンにも行けない。3か月に一度東京を訪れて、ヴィオロンで自分のコレクションのレコードを聴いてもらったり、ライオンの日本一のステレオ装置で自分の愛聴盤を聴くのが楽しみだったのだが、3月は自粛し、6月も東京に行くのを我慢することになりそうだ。それでも徐々に制限緩和となっているようだから、遅くとも9月のLPレコードコンサートのチラシを配布する7月中旬には東京への旅行も自由になってくれたらと思う。でもそもそもぼくが名曲喫茶に興味を持ったのは、何が切っ掛けだったんだろう。浪人時代からクラシック音楽が好きになり、アナログレコードを収集していたぼくは、社会人になって2、3年して20万円くらいのステレオセットを購入した。それまでと違った広がりのある音を楽しんでいたが、ある日、もっといい装置に変えれば、人の声は肉声に近くなり、楽器の音は美しく聞こえるだろうと思った。それでスピーカー、プリメインアンプ、レコードプレーヤーを買い替えた。買い替えと同じ頃にオリジナル盤に近い外国盤で聴くと音がずっと良いということを知り、中古レコードを集め始めた。その頃(1992年)レコードマップという中古レコード店のガイドブックが出ていて、それに出ている大阪、神戸、京都の中古レコード店を回ったが、1994年に東京や横浜の中古レコード店も行ってみたくなった。2泊3日で行ったが、最後の日に日本一のステレオ装置の名曲喫茶ライオンに行ってみたくなり、帰りの夜行バスに乗る前に立ち寄ったのだった。確か持ち込んだハイフェッツのブルッフ作曲スコットランド幻想曲の10インチ盤を掛けてもらったが、その素晴らしい音に目頭が熱くなったことを覚えている。そういうこともあって、ぼくはプレミアム盤に近いクラシックのレコードの収集と名曲喫茶探しにのめり込んでいったが、中古レコード店は関東、関西だけでなく、札幌、仙台、金沢、広島、高松、福岡の中古レコード店も訪ねた。名曲喫茶は、ステレオ装置にこだわらなければ、京都市内にもいくつかあった。四条河原町近辺に、築地館、築地、ミューズなどがあったが今はなく、フランソアが残っているくらいだ。でも京都には柳月堂という老舗のステレオ装置が充実している名曲喫茶があるから、ぼくはいい音が聞きたくなったらそこに行くことにしている。東京には、ライオンとヴィオロンの他には、高円寺のネルケンとルネッサンス、吉祥寺の田園、神田のショパンなどがあるが、今から30年近く前に中野のクラシックを訪れたのがはじまりと言える。その時は、ティボーとコルトーのフランクのヴァイオリン・ソナタをリクエストしたが、黒板にチョークでリクエスト曲を書いたことを覚えている。それからしばらくしてクラシックはなくなったようなので、間に合ってよかったなと思っている。というのもお世話になっている名曲喫茶ヴィオロンのマスターは、クラシックの創業者故美作七朗氏と交流があった。そのため店内には美作氏が書かれた油絵などが何枚も飾られているからだ。最初にヴィオロンを訪れた時にマスターにクラシックでリクエストしたことを言うと喜んでおられた。ライオンもヴィオロンも自作のスピーカーと真空管アンプが美しい音を再生するための要と言えるが、ヴィオロンについては店の内部自体も音響効果を考えつくして設計されているように思われる。ぼくがこの名曲喫茶ヴィオロンをはじめて訪れたのは、1997年の2月だったと思う。それから3ヶ月毎に自分のレコードを持ち込み掛けてもらっていたが、3年くらいして、自分の愛聴盤を不特定多数の人に聴いてほしくなり、マスターに訊いてみた。マスターは、うちではライヴをしているので、空いている時間にやってもらってもかまわない。チャージ料1000円をお客さんからもらうこと、プログラムが書かれたチラシを配布し、レコードの解説をすることに同意してもらえるなら、開催してもらってよいと言われた。最初は試行錯誤の連続で、お客さんも少なかったが、今はチャージ料を取らなくなったこともあり固定客も増えている。それから70回以上もできたのは、マスターのお陰だが、今後、どのくらい続けられるのだろう。目標は今のところ100回だが、9月から順調に消化できたとして、ぼくが68才の頃になるから早く再開できたらと願うんだ。今のところ、LPレコードコンサートのネタに困ることはないけれど、重たいアナログレコード(コンサート用が6~8枚、ディスクユニオン新宿店で購入するのが10数枚)を抱えて、渋谷や新宿や上野辺りをうろうろする力を持続できるか心配なんだ。