プチ小説「ベートーヴェンはえ~よ」
新型コロナウイルスの蔓延で、いろんな行事が中止になったり、順延になっている。ディケンズの没後150年というのはあまり周知されていないようだけど、ベートーヴェンの生誕250年というのは人気がある作曲家なのでいろんな記念行事があるようだ。ベートーヴェンの音楽はモーツァルトの多くの曲のように心地よい音楽を聴き流すというようにはいかない、心に染渡る音楽なんだけど、そもそもぼくがベートーヴェンを聴き始めた切っ掛けはなんだったんだろう。ベートーヴェンの音楽をじっくりと聴くようになる前に、ぼくは、ロマン・ロランの『ベートーヴェンの生涯』という本を読んで、ベートーヴェンの音楽は、「苦悩を突き抜けて歓喜に至るもの」であることを知った。それで第9交響曲の先の3つの楽章(第3楽章のアダージョの中にも苦悩はある)の苦悩を経て、終楽章の歓喜に至ったり、運命交響曲の第3楽章から終楽章に至る時の歓喜、田園交響曲の第4楽章嵐の後の歓喜がぼくなりに理解できた。同じような流れは、ピアノ協奏曲第3番、ピアノ・ソナタ「月光」「熱情」「ワルトシュタイン」「告別」それからピアノ・ソナタ第32番なんかにも見られ、苦悩を勤勉でもって克服したベートーヴェンの偉大な業績として曲想とともに高く評価されている。耳や胃腸の疾患を持ちながら、それに挫けないでたくさんの心に残る名曲を残したと。でも「苦悩を経て歓喜に至る音楽」はベートーヴェンの業績の一部であって、すべてではない。ベートーヴェンはとにかく実験的なことをいろいろやってみたと言われている。第9交響曲の大規模な編成というのも、ピアノ、ヴァイオリン、チェロの三重協奏曲、七重奏曲(クラリネット、ホルン、ファゴットとヴァイオリン、ヴィオラ、チェロにコントラバスが加わる。今回調べ物をしていて気がついたが、ピアノ三重奏曲第8番OP.38はこの曲を編曲したもの)のように編成にこだわったものも新しい境地を開いたという評価ができるし、ヴァイオリン・ソナタ第9番「クロイツェル」や交響曲第7番の激しい感情移入なんかも後世の作曲家に大きな影響を与えたはずだ。ぼくは最初そんなベートーヴェンの激しさを受容できずに、ブラームス、シューマン、シューベルト、ショパン、メンデルスゾーンといったロマン派の音楽ばかりを聴いていたが、ある時ポリーニとベームが共演したピアノ協奏曲第4番のロマンチックな演奏に惹かれ、もしかしたらベートーヴェンの音楽にもロマンチックな演奏があるのではないか。演奏家によってはそれを引き出せるのではないかと思うようになったんだ。その後、ベネデッティ=ミケランジェリのピアノ・ソナタ第4番と第32番を聴いた時やフルニエとケンプの演奏でチェロ・ソナタの第1番と第2番を聴いた時には、これはぼくだけが思っているのかもしれないが、ベートーヴェンの音楽にもロマン派の香りがあると思ったのだった。そうしてだんだんベートーヴェンの音楽に馴染んでいったぼくは、ピアノ・ソナタ全32曲をケンプやグルダの演奏で聴いたり、チェロ・ソナタ全5曲をカザルスの演奏で聴いたり、ヴァイオリン・ソナタ全10曲をオイストラフの演奏で聴いたりすることがごく自然にできるようになったのだった。それでも交響曲第4番、第8番、弦楽四重奏曲第1番~第6番及び第12番~第16番は未だに聴けないでいる。これらの曲が落ち着いて聴けるようになるのはいつのことになるのか。いやいやまだまだ他の作曲家の音楽も聴きたいし、他のジャンルの音楽も聴きたい。きっとベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲を聴いてみたくなる日は今後もやってこないのではないかと思う。