プチ小説「いちびりのおっさんのぷち話 七人の侍編
わしがちいこい頃は時代劇のテレビ放送をようけやっとって、白雪劇場や「素浪人月影兵庫」をよう見たもんやった。ほんま近衛十四郎はかっこよかった。当時は親父がチャンネル権を持っとって、時代劇が好きやったちゅーこともあって、ゴールデンタイムには家族団らんの雰囲気の中、時代劇をよう見たもんやった。そやけどわしが小学校5年生になった頃から、にわかに熱心な巨人ファンになった父親が巨人のナイター中継を必ず見るようになって、ナイター中継のない月曜日と金曜日以外の午後7時から9時までは父親と一緒に巨人の試合を見るか、他の何かをするちゅーことになった。ここでわしが机の前に座って教科書を開いていたら、もっと偉い人になれたんやが、真っ暗な子供部屋の電気をつけてせっせと勉強する自分を頭に浮かべるちゅーことは全然なく、行儀よく父親が選択した巨人戦や時代劇を見たもんやった。そやから巨人戦中継がない時しか時代劇は見られんかったんやが、月曜日のナショナル劇場「水戸黄門」「大岡越前」と火曜日の9時からの「荒野の素浪人」はよう見た。水戸黄門の黄門役はいろいろ変わって、イメージが定着せんかったけど、大岡越前はずっと同じ役者がやっとったから、感情移入がやりやすかった。そやけど加藤剛のような立派な江戸町奉行にはなれそうになかったから、むしろ三船敏郎が演じる峠九十郎や大出俊演じる五連発の旦那のような素浪人に親近感を持ったんや。そんなわしも中学2年になると世界が広がって来て、親父とテレビを見ることも少なくなってきて、巨人戦中継や時代劇を見ることもほとんどなくなった。そんなわしやったけど、高校生の頃に三船敏郎主演の映画「用心棒」を見る機会があって、この映画が、クリント・イーストウッド主演のマカロニ・ウエスタン「荒野の用心棒」の元になった映画やちゅーのを知って、大したもんやなと思ったもんやった。その頃わしは洋画ファンやったんで、それからしばらくして放映された「荒野の七人」を見た。わしは当時かっこいい男優に憧れとったから、スティーブ・マックイーン、チャールズ・ブロンソン、ジェームズ・コバーンなんかに注目しとったんやが、むしろこの映画はユル・ブリンナーやホルスト・ブッフホルツに脚光が当たっとるような気がして、普通のアクション映画と違うなと思うたもんやった。ほんでロードショーやったかスクリーンやったかを読んで、「荒野の七人」は、黒澤映画「七人の侍」の舞台をメキシコに移して製作したリメイク版ちゅーのを知ったんやった。わしが高校生やった今から40年以上前にはもちろんビデオソフトを購入するということがでけへんかったから、首を長くして、テレビ放送があるのを待ったんやった。それから大分経って「七人の侍」は放映されたが、種子島が3丁出て来るが、ほとんどが刀、槍、弓矢、竹槍での戦いですごく地味(モノクロ映画やったし)やなと思うたもんやった。最後のところで、若いもん(「七人の侍」では木村功、「荒野の七人」ではホルスト・ブッフホルツ)がなぜか生き残り、主役が参謀役に「勝ったのは農民(百姓)だった」というのが同じやなと思うたもんやった。わしはどちらかと言うと「荒野の七人」のテーマ曲が大好きで、この映画に出て来るチャールズ・ブロンソンやジェームズ・コバーンが大好きやから、どうしても「荒野の七人」の方に軍配を上げてしまうんやが、「七人の侍」があってこそリメイクできたんやし、比較するのはようないのかもしれん。船場は、昨日、DVDで「七人の侍」を見たちゅーとったけど、あいつ3時間半もある映画を居眠りせんと見たんやろか訊いてみたろ。おーい、船場ーっ、おるかーっ。はいはい、もちろん最初から最後まできっちり見せてもらいました。音にこだわる私としては、時として音が不鮮明になり、テーマ曲も地味な「七人の侍」は物足りないですが、志村喬、三船敏郎、加東大介、木村功、宮口精二、千秋実、稲葉義男の七人の侍がどうなっていくのか、誰が生き残るのかが気になって最後まで緊張感を持って見ることができました。私は以前から、一度襲撃を受けた村がなぜ何度も襲撃されないのかと思っていましたが、悪役の野武士たちは収穫されたコメを狙っていたので、コメが収穫されるまでは襲撃されなかったのですね。それでゆっくり七人の侍をスカウトしたり、侍から竹槍の使い方を習うことができたのです。そうか、そうやったんや。そやけど、船場、「生きる」を見て、「七人の侍」も見た。当分は黒澤映画を見るんか。いいえ、この前見た黒澤明監督の最初の作品「姿三四郎」は一部切り取られ不完全だったためか、物足りなく思いました。もう少ししたら、行動も自由になるでしょうし、そうなったら週末は外出することになるでしょう。そうやな『こんにちは、ディケンズ先生』の第3巻と第4巻を公立図書館に受け入れてもらわなあかんもんな。 (敬称略)