プチ小説「室内楽はえ~よ」
新型コロナウイルスの蔓延で、いろんな行事が中止になったり、順延になっている。仕方なく、私は週末に自宅でCDやレコードを聴いているが、3ヶ月に1回くらいは、東京の名曲喫茶ヴィオロンや名曲喫茶ライオンでアナログレコードのすばらしい音を聴いてみたいものだ。京都に柳月堂があるが、こちらも他府県ということで行くのを我慢している。ライオンだったら、オーケストラの音を聴きたいから、ペーター・マークのメンデルゾーン交響曲第3番「スコットランド」なんかが今の時期はいいな。ヴィオロンで聴くなら室内楽曲がいいな。室内楽のカテゴリーに入るのは、ヴァイオリン・ソナタをはじめ、いろんな楽器のソナタや小編成の楽器の合奏なんだけど、一時はひとつひとつの楽器の音をクリアに聴けるということで室内楽曲のレコードの収集に熱を入れた時期もあった。今はカラヤン指揮ベルリン・フィルの演奏を聴くことが多いが、そもそもぼくが室内楽を聴き始めた切っ掛けはなんだったんだろう。多分、最初はヴァイオリン小品集だったと思う。なぜならヴァイオリン・ソナタやチェロ・ソナタのような20分以上の大曲を最初は聴き続けることができなかっただろうから。パールマンのクライスラー小曲集やロジェール・リッチのクレモナの栄光なんかから入って行ったんだと思う。そうしてベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ「春」や「クロイツェル」、ブラームスの3つのヴァイオリン・ソナタ、フランクのヴァイオリン・ソナタを聴いたのだと思う。弦楽四重奏曲で最初に聴いたのは、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第9番「ラズモフスキー第3番」だったと思う。ハイドンやモーツァルトの弦楽四重奏曲は、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第7番「ラズモフスキー第1番」や同第10番の「ハープ」をじっくり聴いてからだったと思う。このふたつの弦楽四重奏曲は今でも愛聴しているが、ベートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲はいつまで経っても理解できない。いつか楽しんで聴ける時がやってくるんだろうか。モーツァルトは、弦楽四重奏曲第15番、同第21番「プロシア王第1番」、ハイドンは、弦楽四重奏曲「皇帝」と「日の出」が好きなんだけど、弦楽合奏はメロディが変わっても音色が似ているから、どれも同じように聞こえるし何曲も続けて聴くのは難しいなと思ったのだった。それでモーツァルトの小編成の管楽器のディヴェルティメントやベートーヴェンの七重奏曲やシューベルトの八重奏曲を聴いていたが、ある時、カール・ライスターが演奏する、ブラームスのクラリネット・ソナタを聴いて、やっぱりソナタでひとつの楽器の音色をじっくり聴くのが一番いいと思ったのだった。クラシック音楽を聴き始めて1年も経たない頃に。ダニール・シャフラン他演奏のシューベルトのアルペジョーネ・ソナタを聴き、この曲が大好きになり、レコードを購入して、しばしば聞いていたが、他の演奏家でいいのがないかと思い、ロストロポーヴィチ他の演奏を聴いたが、こちらは大雑把な演奏だなと思い、2度と針を落とすことはなかった。モーツァルトはたくさんの室内楽曲を残していて、演奏形態もいろいろあるので、十分だし、ベートーヴェンもモーツァルトに比べて曲の数は少ないけど、たくさんの室内楽曲を残している。シューベルトをはじめ、ロマン派の作曲家が、もう少し室内楽曲を残していてくれたらなあと思う。多分、小編成の室内楽曲は、大ホールでの演奏に向かないということで、ロマン派以降の作曲家は、交響曲、管弦楽曲、協奏曲を中心に作曲するようになったのだろう。でもぼくは、確かにメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲はすばらしいけど、同じ作曲家のピアノ三重奏曲第1番もそれと同じくらいすばらしいんだよと言いたいんだ。実を言うとぼくは最初大きな音の塊のようなフルオーケストラの響きが好きではなかった。それは再生装置がよくなくていろんな色彩感豊かな音が分離して聴こえなかったからだと思う。だから再生装置が良くなるとオーケストラの音も聴きやすくなり、どの編成の曲も興味を持ったらすぐに聴くようになった。ただクラシックの聴き始めの頃は安い音の分離が悪い装置で聴いていたので、それぞれの楽器の音を聴き取り易い室内楽を好んで聴いていた。私の持っているような装置でも、オルトフォンSPUクラシックのカートリッジを取り付ければ、ある程度良い音で弦楽器の音を聴くことができた。今ではアナログレコードプレーヤーの針を安物にしたので、いい音で室内楽を聴くことを諦めてしまったが、最近はCDの音もだいぶ良くなったので、CDで買いなおして昔の演奏を聴いてみようかと思っているところだ。