プチ小説「座談会「なんやそれ」について考える」

「こんにちは、「青春の光」で橋本さんと対話している、田中です。今日は船場さんから、一度、関西弁の面白い言い回しについて、プチ小説に登場するアグレッシブな人たちで座談会をしてほしいと言われました。もちろんみんな学者ではありませんから、日々の会話の中で、ちょっと気になったという言いまわしを取り上げて、ああでもない、こうでもないと熱い議論を交わすということになりますが、顔つなぎにもなりますし、ぼくもいい考えだと思っています。とりあえずやってみましょう」
「「青春の光」の橋本です。船場君は、プチ小説が800になる手前で新しい企画をひとつ作っておきたいという考えのようだ。頭をひねったり、あたまを歯磨きのチューブのようにしぼっていたが、考えついたのがこの企画のようだ」
「「いちびりのおっさんのぷち話」のいちびりです。わしはちいこい頃の話しかようせんから、みなさんのお役に立てるかどうか。それでも船場の本が少しでも売れて、船場が少しでも明るくなったら、「お前、最近頭だけ明るくなったと思っとったけど、性格も明るくなったんやな」と言ってやれるんで、何でもやらしてもらおうと思っとるんです」
「「たこちゃんシリーズ」の鼻田です。船場はんはさいきんいちびりさんのプチ小説に登場することが多くて、「たこちゃんシリーズ」に登場しないんで物足りなく思っていましたが、新しく企画されたプチ小説で登場させてもらえるなら、精一杯頑張ろうと考えとります。船場はんは最近やっとわしと同じくらいの頭髪の量になったので、親近感が増しています」
「では自己紹介が終わりましたので、座談会に入りたいと思います。みなさんが自由に話していただけるように少し私が、導入してみたいと思います。今日は、「なんやそれ」という関西弁独特の言い回しについて話し合いたいと思います。ぼくは、「なんやそれ」というのは言い方で、意味合いが変わってくるように思います。それに間に言葉を挟んだり、少し変形させることが多いと思います。「なんやねん、それ」これは反論する前の鬨の声のような感じがします。「なんじゃ、それ」というのは話し相手の言ってることが下らないと言っているように思います」
「田中君の言うのはもっともだが、私はあまり「なんやそれ」とまったりした言い方はしない。「なんじゃー」とか「なんでー」とか言うかなあ」
「わしは関西弁の言い回しは、相手の言い方に応じて反応するちゅーふうに考えとるから、「なんやそれ」と言う時もあるし、「なんでやねん」と言う時もある。わしは言語学者やないから、偉そうなことは言えんけど、「なんやそれ」は関西弁の独特な言い回しなんで、固定された限られた使い方だけやなくて、使う人が自由に使ったらええんとちゃうと思うんや」
「あんたええことゆうなあ。そうや自由に使ったらええ。そやけどどんな時に使うのが、ええかやけど、わしの「たこちゃんシリーズ」の最後のところで、わしが、「そうや、これからは基礎体力が必要なんや。うさぎとびとリヤカーごっこをするでえぇぇえ」というのは、「なんやそれ」と突っ込みを入れたくなるところとちゃうんかな」
「ぼくは船場さんのプチ小説にはそんな場面がたくさんあると思います。「なんやそれ」と考えさせて、笑いを取るというのが船場さんの笑いのひとつのパターンだと思います。「青春の光」は橋本さんに「なんやそれ」とぼくが突っ込みを入れたくなるようなことを言わせたり」
「そういえば、わしの小説もわしがあほなことを考えて、読者が「なんやそれ」と言いたくなるような部分がある」
「「たこちゃんシリーズ」でもわしが登場する最初のところで、わしがスペイン語を話して、意味も書いとらんから、読者は「なんやそれ」と思うやろな」
「まあ、船場さんはそんなふうな、ある意味、しょうもないけどおもろいという小説を書いているんですが、これからも売れそうにない船場さんのために、われわれ精一杯頑張ろうではありませんか」
「もう終わりか?そやけど、この企画は失敗やったとわしは思うでぇぇぇえ」
「まあまあ、もう少しでプチ小説が800になるんですから」
「そうや、わしがちいこい頃も、船場みたいなおっさんがようさんおったけど、いまいちぱっとせんかったな」
「まあまあ、それでもプチ小説から『こんにちは、ディケンズ先生』4巻を出したのですから」
「みなさん、船場君ははみがきのチューブのようになってこの企画を考えたのですから、万が一もう一度座談会をやろうということになったとしても、みなさん万障繰り合わせてご参加いただけますか」
「ええよ」「ええよ」「もちろん」