プチ小説「耳に馴染んだ懐かしい音14」
今年の2月末に閉店になったジュンク堂京都店の前を二郎が歩いていると、森下さんのおばちゃんが声を掛けて来た。
「あら、二郎君、お久しぶり。最近、感染症が流行っていて、外に出ることがほとんどなかったから、おいしいコーヒーを飲むのを我慢していたんだけど、今日は久しぶりに...」
「あっ、おばちゃん、楽しく元気に過ごされていましたか」
「まあ、こんな状態ではちっとも楽しくないけど、元気は、元気よ」
「クラリネットのレッスンは楽しいですか」
「残念ながら、クラリネットのレッスンは、3月からずっとお休みよ。でも来週6月16日から再開するわ」
「2月に何とか、テイク・ファイヴを通して演奏できたと喜んでおられたというのに。その後ほとんど練習もできていないということですか」
「そういうことになるわね。おばさんもあと何十年も生きられるわけじゃないから、この3か月余はとても大きな打撃だわ」
「そうですよね。そんなに長い間練習もしていないのなら、元の状態に戻すのに時間がかかりますよね」
「それからレッスンがお休みで、休日が暇なものだから、いっぱいわんさかCDを買い込んじゃって、やりたい曲がたくさん増えたの。あと10回発表会で演奏しても消化できるかどうか」
「へえ、どんな曲を発表会で演奏したいんですか」
「まずは、映画「ラ・マンチャの男」から「見果てぬ夢」」
「ぼくも大好きです」
「それから、日本映画「生きる」から「ゴンドラの唄」」
「発表会ではちょっと難しいかもしれません」
「パラグアイのバンドが演奏していたのも演奏したくて、「シエリト・リンド」「アマポーラ」「ラ・パロマ」「シボネー」「ソラメンテ・ウナ・ベス」「花まつり」なんかよ」
「ぼくは、「コンドルは飛んで行く」がいいなあ」
「それからアルゼンチンのデュオ、クリスティーナとウーゴの「風とケーナのロマンス」という曲も素敵だわ」
「ぼくは女性ボーカルなら、グラシェラ・スサーナがいいと思うんですが」
「ふーん、どんな曲歌っているの」
「「アドロ」が有名ですが、「サバの女王」「サン・トワ・マミー」「爪」「時計」「あなたのすべてを」「忘れな草をあなたに」「希望」なんかもいいと思います」
「そうなの、是非、レコードを貸してほしいわ」
「わかりました。他にも演奏したい曲はありますか」
「感染症でレッスンがお休みになる直前にモーツァルトの2本のクラリネットのための曲をいくつかをすることになっていたけれど、それも演奏するのが楽しみだわ。クラシックの曲の演奏の仕方をきちんと教えてもらうのはレッスンじゃないと...」
「先生が手取り足取り教えてくださるんですね」
「そうなの、その先生がいなければ、きっと続かなかったわ。あと10年はレッスンを受けたいと思っているの」
「あと10年も」
「だって、私の生き甲斐なんですもの」