プチ小説「座談会「ええんとちゃう」について考える」
「こんにちは、「青春の光」で橋本さんと対話している、田中です。今日は船場さんから、一度、関西弁の面白い言い回しについて、プチ小説に登場するアグレッシブな人たちで座談会をしてほしいと言われました。もちろんみんな学者ではありませんから、日々の会話の中で、ちょっと気になったという言いまわしを取り上げて、ああでもない、こうでもないと熱い議論を交わすということになりますが、顔つなぎにもなりますし、ぼくもいい考えだと思っています。とりあえずやってみましょう」
「おい、お前、なんやそれ、出だしが前と全く同じやないか。わしが学生の頃は同じ言い回しはなるべくせんように言われたから、同じ意味の別の言葉を考えたり、動詞を代えたりしたもんや。そやのにお前は、最近流行のコピペをして、適当に始めようとしとる。わしはそういうのは許せん質なんや」
「いちびりさん、ご協力ありがとうございました。とこういう風に鋭い突っ込みを入れられたら、大阪人の多くの人は、はにかみというか、照れ笑いなんかをして、「ええんとちゃう」と言います。そう自分のやったことに少し後ろめたさがあるので、特に大きな支障があるというわけでもないのに、申し訳ないというか、堪忍してという気持ちを前面に押し出して、この言葉を発するのです。でも本当のところは自分がやっていることを肯定したいのです」
「「青春の光」の橋本です。私はあまり、「ええんとちゃう」というのを言った記憶はないなあ。関西の一部の地域でしか使われていないのじゃないかな」
「ぼくは最近この言い回しを面白がってよく使っていますが、最初にこの言葉を聞いたのは、高槻市在住の人からでした」
「それじゃあ、北摂だけで話されているのかもしれないね」
「でも「ええんとちゃう」は不思議な言葉です。ええんと違うということなんですかね」
「そういう風に解釈すると、いいものではないという意味になるので、自分が言っていることを100パーセント否定するということにならないのかな」
「「たこちゃんシリーズ」の鼻田です。わしは「ええんと」というのも、「ちゃう」というのも深ーい意味があると思うよ。「ええんと」言うたら、「ええ」とちょっと違うニュアンスがある。少し玉虫色の気がする。「ええっちゅーたやろ」とか「ええやんか」と違って、「んと」が入って、曖昧な表現になったいう感じやな」
「それじゃー、「ちゃう」というのは、どうなりますか」
「「ちゃう」というのは、文字通りだと「違う」ということになるんやが、そのまんまやったら、「いいものと違う」ということになり、訳が分からなくなる。そやから「ちゃいまんのん」の「まんのん」が取れて、進化したかたちと考えるのが、ええんとちゃう」
「そうやな「ちゃいまんのん」の意味は「違う」という意味ではなくて、「違うちゅーたけど、それもありうるかな(わしはあると習いましたで)」と言う感じやな。そやから、「ええんとちゃう」というのは、否定しているんやのうて、肯定していると考えるのが、ええんとちゃう」
「それでは、「ええんとちゃう」という微妙な表現が使われているシーンとか、船場さんの小説に出て来るでしょうか。あったかな...」
「田中君、何をいっているんだ。ちゃんとあるじゃないか。私が船場君の小説『こんにちは、ディケンズ先生』の宣伝のために、金粉やメリケン粉や青のりをつけて街頭に立って突っ込まれた時は、私が、「ええんとちゃう」とはにかんで、はずかしいそうに肯定しているじゃないか」
「そうですか、ぼくは橋本さんがやる気満々で、胸を張ってやっておられるように思ったのですが...最近は3色でやったりしているじゃないですか」
「......」
「わしらも橋本さんに教えてもらって、金粉やメリケン粉や青のりを身体に塗って船場を応援しようと思うんやが、田中君はやらへんのか」
「ぼくは恥ずかしくてとてもできません。お三人でしてもらったら、ええんとちゃう」