プチ小説「座談会「ほんまかいな」について考える」
「こんにちは、「青春の光」で橋本さんと対話している、田中です。今回もプチ小説に登場するアグレッシブな人たちで座談会をすることになりました。今回のお題ではなくて、議題は、「ほんまかいな」ということなんですが、どうですか、相方の橋本さん」
「そうだなー、私は、首までどっぷりつかった関西弁を話すわけではないから、「ほんま」というのはあまり使わないなあ、「本当」「ホント」なんかをよく使うなあ。ここは、頭の天辺までどっぷりつかっている関西人のお二人に聴いた方がいいのかもしれない」
「それじゃー、いちびりさん、どうですか」
「わしは根っからの関西人やから、「ほんまかいな」もよく使うし、「ほんま」「ほんまやでー」もよく使う。でもな、関東の人が使こうてる、「本当」「ホント」とちょっと違う気がするんや」
「と言いますと」
「関東の人が、「本当なの」と言った場合には、そのことの真偽の確認だけをしているような気がする。ほやけど関西弁の「ほんまかいな」とか「ほんまやのん」ちゅーのは本当やあるいは事実やと受け止めといて、というのは関西人は案外素直に受け入れる人が多いからなんやが、そやけど眉に唾を付けるのは怠らんというのがあるんとちゃうかなー」
「ということは、「ほんまでっか」と顔で笑っているけど、心の底では疑っているということですか」
「そらそういう人もおるけど、大概は「ほんまかいな」とおどけた口調で言って、ペンディングする(即答するのを避ける)ちゅーた方がええかな」」
「鼻田さんはどうお考えですか」
「そら、ケースバイケースちゃうのん。長年付き合って来た友人や連れ合いと交わす、「ほんまかいな」とそれほど深い付き合いでない人と交わす「ほんま」はやはり違うと思うんや。それからさっき言うてたけど、素直に受け止めるけど、疑問を持ったら究明すると言うのかな」
「でも関西の方でなくても、疑問を持ったら究明するというのは誰でも同じだと思いますよ」
「あんたのゆうとおりや。すんまへんなー」
「ところで「ほんまもん」という言葉がありますが、この言葉をどう思います」
「そうやなー、わしはどちらかっちゅーと軽い言葉という感じやな。漢字で書かれてへんからかな」
「そう言えば、大和言葉で書かれるとやわらかになるというか、重さはなくなりますね」
「そうやねん。関西弁の決まり文句ちゅーのは、大和言葉が多いんとちゃう」
「そう思うけど、それじゃー「ほんまもん」を重厚な響きがある言葉にかえるとしたらどうなりますか」
「そらあんた、「ものごっつい」とか「なんちゅー」なんかに名詞をつけて、「ものごっつい力」とか「なんちゅー話」とか言うて、賛美したり驚愕するちゅー感じかな。「ものごっつい」も「なんちゅー」も大和言葉やけどな...」
「そやでー、でもな「ものごっついほんま」ちゅー使い方はせーへんから、これから使う人は気を付けるんやで―」
「鼻田さん、誰に呼び掛けてるんですか。ところでこの「ほんまかいな」というのは、われわれの小説のどこに出て来るでしょうか」
「そら、いちびりさんが会社勤めしとって、しかも社員を教育する部署に配属されとるということやな」
「そうですね。しかも研修会をして、「社会の窓」の大切さを繰り返し唱えるというのはすばらしいですね」
「そう思うやろ、そやから船場に3つ目を書いてんかちゅーとるんやけど、なかなか書いてくれへんねん」
「まあ、船場さんのことですから、気が向いたら書いてくれるでしょう」
「あんた、それでこの座談会終わるんか」