プチ小説「青春の光93」
「は、橋本さん、どうかされたのですか」
「最近、船場君はわれわれの有効利用を考えて、座談会でわれわれふたりといちびりさん、鼻田さんに面白いことを言わせようとしたが、失敗に終わったようだ」
「白旗をあげて降参されたのですか」
「そんなもんだよ。だって言語学を学んだわけでもない船場君が関西弁について突っ込んだ話をするわけだから、うまく行くはずがない」
「でも関西人である船場さんが面白そうだといろいろやっておられるのですから、われわれがどうこう言うものではないのでは...」
「そうさ、ただ私は船場君が間違っていることをひとつふたつ指摘したいと思うんだ」
「どんなことでしょう」
「身近な例であげると、まず関西弁と言っても、大阪弁と京都弁はかなり違うということだ。そうなんだが、大阪弁は商人の言葉で、京都弁は歴史がある街の住人の言葉として一般的に考えられているということはない」
「???」
「つまり言葉は生き物で、そんなふうに分けても余り意味がない。ここからここまでが大阪弁で、こっちは京都弁だから、あんた使ったらあかんよーというようなことはない。関西弁で話しても標準語で話してもその人の自由だ。その人がどの道具を使おうと勝手なのと同じだ」」
「そうですね、それでいさかいが生じたら、マイナスでしょうし」
「そう、だから、船場君はわれわれを引っ張り出して、ちょっと面白いことを言わせようと考えたんだろうが、座談会の内容が言葉の使い方を制限しているみたいになったと思ったようだ」
「船場さんが座談会の中でひとつの言葉の意味や使い方を提示するとそれが制限されたようになり、本来、自由に使ってよいはずの言葉が制約を受けてしまいますよね。結果として、船場さんが自分でしたくないと思っていることを、率先してやっていることになるとうことですね」
「そうだ、それから、やはり気分屋でかっちりしたことが苦手な船場君が、たとえわれわれの口を借りたとしても、まるで言葉の権威のように話すのは正しくないと考えたようだ。学者でないから何が一般的な関西弁かもわかっていないし、下手をすると関西弁でない言葉を関西弁として取り上げてしまうかもしれない。最初のうちは一般的な関西弁であっても、回を進めていくにつれて、希少な関西弁を取り扱うようになり、終いにはそれほんとに関西弁と言われるかもしれない。気が小さい船場君がこのように考えたのもよく理解できる」
「そうですよね、部外者がえらそうに間違ったことを言うのは避けたいところですね」
「そうなんだ、だから船場君は、「座談会」をまたやりたいが、かっこの中は今後は言葉ではないものをと考えるということに至ったようだ」
「船場さんは、天の川銀河を撮ると言ったり、クラゲを撮ると言っていますが...」
「東京に出掛けるのは今のところ難しいだろう。京大図書館に受け入れられたとはいえ、大学図書館での受け入れが思うように進んでいない今、『こんにちは、ディケンズ先生』の続編を書く気にならないだろう。船場君はいろんな体験を通して、自分の小説に盛り込む、私小説作家だから、出掛ける必要がある。銀河の撮影やクラゲの撮影なら、東京に出掛けるよりずっといいんじゃないかな」
「船場さんは、東京の水族館には行けないので、京大白浜水族館とか城崎マリンワールドとかに日帰りで行こうかなと言われていました」
「クラゲを撮るためにそんなに遠くに行くのはもったいない気がするが、きっと何か副産物も持って帰るんじゃないかな」