プチ小説「初心に帰って1」
二郎は哲学の道を南の方に向かって歩きながら、考え事をしていた。
<もう中年になるのに、今まで大したことをしてこなかったな。いくつか恋愛らしきものをしたけど、実を結ばなかった>
さっと冷たい風が吹いてきたので、二郎は身を震わせた。川の方に目をやると雪柳が揺れていた。
<ものを集めるのが好きなぼくの関心は、いかにして名曲の名演のレコードや大きな感動を与えてくれる本を手に入れるかだった。それを追い求めているうちに多くの年月が走り去ったという感じだ>
しばらく行くと、法然院へと上がっていく道が見えて来たので、次郎はそこを左折した。
<法然院は、高校生の時に写真部の撮影会で来て以来、今までに何回か来たことがある。門の佇まいが京都らしくて、好きなんだ。紅葉の頃もすばらしいし、4月も。ちょっと覗いて行こうかと思った時に、簡単に立ち寄れるというのがいいと思う>
二郎は山門の近くまで来るとラジオを付けたが、クラシックの番組でなかったのでラジオを消して鞄に戻した。
<昔はクラシック音楽が身近だった。NHK-FMを聞いたら、大概クラシック音楽の番組をしていた。この時に聴いたクラシックの名盤が、今でも心のよりどころだ。ベートーヴェン、ブラームス、モーツァルト、シューベルト、バッハはなんとたくさんの感動と霊感を与えてくれたことだろう。収集癖が高じて、エッセイを書いてみたりしたのも懐かしい思い出だな>
二郎は、いつもしているように山門の写真をカメラに収め、山門をくぐった。
<ベートーヴェンは第九をはじめ交響曲の作曲家という認識は間違っていないけど、ぼくはベートーヴェンの協奏曲や室内楽曲が好きだな。交響曲に興味を持って、他の作曲家の作品と聴き比べるというのもありかなと思うけど、やはり交響曲を大音量で聴くとなると近所迷惑になる恐れがある。そういうこともあって、ぼくは協奏曲や室内楽曲を聴き込んだのだった。そうするとモーツァルトのピアノ協奏曲やフルートとハープの協奏曲にも興味を持ち始め、それからシューベルトやブラームスの室内楽曲にも興味を持ち始めたのだった。モーツァルトのピアノ協奏曲を聴いているとピアノ曲にも関心が行き、ベートーヴェンのピアノ・ソナタやショパンのワルツ、前奏曲、練習曲、バラード、マズルカなども聴くようになったのだった。シューベルトの弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」を聴いて感動し、他の作曲家の弦楽四重奏曲も聴くようになったんだった。イタリア弦楽四重奏団の演奏はぴか一の演奏で、ぼくの中で永遠に輝き続けるだろう。久しぶりに聴いてみたいな。そうだ思い出した。予備校の古文の先生が突然この曲の話をし始め、第2楽章のテーマを歌い出すということがあったなあ。きっとその時の先生のお手本はイタリア弦楽四重奏団のレコードだったに違いない。心に沁みて、折に触れて心に蘇る演奏というのはこれしかないからだ。このレコードと同様にブラームスの弦楽六重奏曲第1番も心に沁みたなあ。ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団他が演奏するウエストミンスター盤もいいけど、スターンとカザルスが中心のコロンビア盤はもっとすばらしい>
二郎は法然院の庭園の散策を終えるとまた哲学の道に戻り、南へ歩いた。
<室内楽曲を楽しんで、いろんな楽器の音を聴いているうち、弦楽器の独奏を聴いてみたくなった。それでバッハの無伴奏ヴァイオリンのソナタとパルティータや無伴奏チェロ組曲を聴いた。その後古典派やロマン派のヴァイオリン・ソナタやチェロ・ソナタを聴くようになった。そうこうしているうちに40才を過ぎてしまった。でもオペラは未開の地だなあ...。僕の場合、クラシック音楽にのめり込んだが、他のことにはのめり込んでいない。クラシックばかりでは足りない気がする...。そうだ、大学生の時に大学生協で購入してまだ読んでいないディケンズの『リトル・ドリット』を読んでみようかな。帯に監獄で生活するヒロインというようなこと書かれてあるので、ずっと足踏みしていたが、学生時代に読んだ小池滋訳『オリヴァー・トゥイスト』は面白かったし、小池氏はディケンズの小説をたくさん訳されているし、これを足掛かりにイギリス文学にのめり込んで行けるかもしれない>
ふと二郎が目を上げると丸太町通りへと抜ける道が右にあったので、その道を軽い足取りで下りて行った。