プチ小説「初心に帰って2」
二郎は、久しぶりに西大路通りを北へと向かって歩いていた。彼が通った大学が衣笠にあり、学生時代は一時間以上掛けて歩いたものだった。彼はバス代を捻出できない貧乏学生だったが、そのお陰で京都市内を長時間歩くことが習慣のようなものになり、苦痛でなくなったというありがたい恩恵を齎した。
<もう中年になるのに、今まで大したことをしてこなかったな。家族を持ち子孫を残せば、それだけで世の中に十分な貢献をしたと言えるのに、それができていない...>
京福電車が通り過ぎると信号が変わったので、二郎は電車と車が並んで走るのを見ながら歩道を渡った。
<この情景を見るといつも、市電が走っていた頃の京都はこんなんだったのかなと思う。小さな1両だけの電車、確か市電の色も緑色が基調だったし、ここで京福電車を見ると、高校生の時に見た微かな記憶が蘇り、ぼくはタイムスリップしたような気になるけど、地元の人はどうなんだろう。学生時代雨の日も風の日も毎日徒歩で衣笠まで歩いたんで、長時間歩くのも苦痛でなくなった。根気が身に着いたのだろう。歩くことだけじゃなく本を長時間読むことやクラシックの長大な曲を聴くことも嫌でなくなった。もちろんつまらないレコードもあるけど、ガイドブックでの評価を頼りにすればはずれはない。長大なシンフォニーと言えば、マーラーの交響曲第3番ということになる。1時間40分も演奏時間がかかるのに最後まで楽しませてくれる。アバド指揮ウィーン・フィル盤がベストだけど、第4楽章のジェシー・ノーマン、第5楽章のウィーン少年合唱団もいい。でもこの曲の聴きどころは、最初と最後の楽章のウィーン・フィルの演奏だろう。こんなすばらしい演奏なら、1時間でも2時間でも聴いていたいが、1時間30分を超える大曲の名演というのはなかなかない。長大な曲と言えば、ブルックナーの交響曲第8番が思い浮かぶが、ぼく好みの演奏はない...と言うか、ブルックナーは交響曲第7番に尽きる>
円町の交差点を渡って、しばらく行くと北野中学があった。
<ここにギターセンター月光堂というのがあったのだが...。最近、ネットで検索したら、北大路通りと下鴨本通りが交差するところの近くでギター教室をしているのが出ていた。下鴨で60年とあるから、北野中学の近くの店は支店だったんだろう。僕の場合、チューニングができないから、ギターやヴァイオリンは無理だけど、チューニングが必要でない管楽器は習ってみたいな。クラリネットはどうだろう。クラリネットと言えば、モーツァルトの交響曲第39番は、クラリネットが活躍する曲として有名だ。クラリネット協奏曲、クラリネット五重奏曲、たくさんの室内楽曲でもクラリネットが活躍する。モーツァルト自身、クラリネットという楽器が大好きだったんだろうな>
大将軍までやってくると、二郎は信号を渡って東側の歩道を歩いた。
<今日は大学に行かないで、北野天満宮で梅苑を見て、上七軒のおせんべい屋さんに寄って帰ろう、上七軒はいわゆる花街で舞妓さんや芸妓さんもおられるようだが、一度もお目にかかったことはない。バス停からお煎餅屋さんの導線では無理なのかもしれないなあ。一度上七軒通りを歩いてみようかな>
二郎は北野天満宮境内に入ると梅苑を目指した。
<まだ梅の頃には早いかもしれない。でも梅は咲き始めの頃の方がきれいだし、ぼくは、旋律の中にしっくりしないところがあると聴く気がなくなったりするようにフレームの中に枯れた花があると気になるから、この頃が一番いいのかもしれない。青空を背景にすると梅の花は映えるんだが、今日はどうかな...>
二郎の要請に応えてくれたのか、雲間がぱかっと割れて青空が広がり始めた。二郎はその青空を背景にして、紅白の梅の写真を夢中になって撮った。