プチ小説「八月の再会」

大石は、30年ぶりに妻と一緒に京都に来ていた。京都市役所近くの中古レコード店巡りは大石に欠かせないことだったが、妻には興味がなく彼だけが楽しめるものなので、妻は四条河原町近辺で時間を潰してもらって、午後6時に高島屋の前で待ち合わせることにした。
<ここらあたりを歩いていると学生時代の同窓生とよく顔を合わすんだ。といっても今から30年も前のことだけど...。卒業してから10年くらいは休日に京都に足を運んでいたんだが、結婚して、仕事が忙しくなると京都に来ることはなくなった。ようやく京都でゆっくり過ごせる日が1日確保できたんだが、学生の頃から一人で河原町近辺を散策するのが休日の楽しみだったから、妻に頼んで、お昼は一人にしてもらって、夜ゆっくり一緒に過ごすことで許してもらった。そういえば今から30年前、結婚する1年前だったが、この辺りで小岩さんに会ったのだった。学生時代に英語やドイツ語のノート(翻訳)を見せてもらって、お世話になったので、その後もぼくの故郷に招いてもてなしたりしたものだった。明治村、リトルワールド、日間賀島なんかにぼくの車で行ったっけ...>
「あれ、お久しぶりです。小岩さん、今、あなたがどうされているかと思っていたんです」
「ああ、あなたは大石さん、ダンディな感じが素敵ですね」
小岩がそう言うのも無理はなかった。小岩が言うように8月だというのに大石はブランド品で身を固め、上着もきちんと身に着けていた。小岩はGパンに年季の入った白いTシャツを着ていた。
「ダンディなんて小岩さんから言われると照れますね。実は妻と一緒なんで、こういう格好をしているんですよ。そうだ、夕方まで、妻とは別行動なんで、このあたりを一緒に歩きませんか。小岩さんがよろしければですが」
自分の格好を見ながら、隣にいていいですかと小岩は少し恥ずかしそうに頭を掻いていたが、大石の方を向いて言った。
「ええ、大石さんがそうおっしゃるのなら、いいですよ。でも、大切な時間を私のために使っていただくのは申し訳ない気がするなあ」
「何か無理にお願いしているようだな。もちろん小岩さんのご予定があるのなら」
「いや、それはないです」
「じゃあ、しばらくお付き合いください」
ふたりはとりあえず馴染みの喫茶店に入ってゆっくり話をしようということになった。

大石と小岩は河原町通近辺を四条まで下りたり三条まで上がったりしたが、お目当ての喫茶店は見つからなかった。
「鳥類図鑑やしあんくれーるがなくなったのはずいぶん前のことだけど、ブルーノートもなくなってしまった。名曲喫茶も築地館、みゅーずがなくなってしまった。夜の窓もなくなったようだし。築地とフランソワなら今でもあるけど、どちらにしようか」
「小岩さんが選んでください」
「じゃあ、築地にしよう」
ふたりが築地のテーブル席に腰かけて、大石がホットコーヒーを、小岩がアイスコーヒーを注文すると、小岩が話し始めた。
「大石さんは今日は久しぶりの京都なのかな。元気にされていますか」
「ええ、管理職になるとなかなか休日が自由にならなくて、会社の用事、同僚との付き合い、家族サービスがあって、自分の時間はほとんどないですね」
「でも奥さんがいろいろ心配りをしてくれるから、やっていけるんじゃないかな。ぼくなんか何でもひとりでこなさないといけないから、掃除、洗濯、食事...風呂は毎日シャワーだよ」
「でも自由だから、制約がないし」
「そりゃー、誰も注意する人がいないのは確かだけど、何も計画しないで生きていくわけにもいかないでしょう。それにぼくは何も残していない。大石さんは家庭を持ち、子供も3人いる。みんないい子だから、それだけで社会に貢献していると言える。でもぼくはいまだにひとりもんだから、あとに残るものが何もない」
「でも小岩さんは医療機関の一員として、30年以上働いているのだから...」
「まあ、働かないことには食べていけないわけだから、生きるための手段で...まあ、それはそれとして、厚かましい話になるけど、久しぶりに愛知県のどこかに案内してもらえたらうれしいんだけれど」
「うーん、それはちょっと難しいですね。前みたいに一日掛けてというと絶対無理ですね」
「やっぱりそうか、仕方ないよね。こうして通りすがりで声を掛けてもらったんで、今日のことは何度も思い出すよ。この後別のところも行きたいんでしょう。ジャズ喫茶が全くなくなったんで、残念だったね。でも中古レコード店で、名盤を見つけて帰って下さい。じゃあ、ぼくはここで失礼します。支払いはしておくから、ゆっくりこの店を出るといいですよ」
大石が小岩が出口にむかうのをぼんやり眺めていると、店の出口で振り向いた小岩と目が合った。大石が昔よくしたように、もう一軒行きましょうという身振り手振りをじっと小岩の目を見てすると、小岩が踵を返して戻って来た。小岩は大石の目を見つめると穏やかに言った。
「さっき午後6時に奥さんと待ち合わせていると言っていたね。あと2時間ほど時間があるんだね。ちょっと別のところに付き合ってもらえるとうれしいんだが、美味しい和食のお店なんだけど」
「ええ、ご一緒しましょう。時間があれば、地獄の果てまででも同行させていただきますよ」
「そんな、大袈裟な。京終(きょうばて JR桜井線)くらいでいいよ」
ふたりはにっこり笑顔を交わすと、一緒にその喫茶店を出た。