プチ小説「世界は日の出を待っている」

正田は目を覚まして今は何時だろうと考えていたが、それから5秒もしないうちにそばに置いてある卓上時計のランプを点けた。
「ああやっぱり、午前2時40分か。まだ起床まで2時間くらい時間がある。最近、体内時計が正確だから驚いている。年を取ったからかな。明日は水曜日だから、よく寝ておかないと。6時間は寝ておかないと、昼食を食べたら、舟をこいでしまう恐れがあるんだ。30分ほど歩き回って、眠気覚ましをしてもいいんだけど、下手をすると午前中から、瞼が重い緞帳のように下りてくることがあるんだ」
正田がもう一度時計を見ると、2時50分になっていた。
「もう10分経ったのか。少し朦朧としているから、時間の感覚がわからないのかな。40代の頃だったら、朝、起きて、コーヒーを飲めば、眠くならなかったんだが、最近はそういうわけには行かない。こうして考え事をしていると、目が冴えて来るから、考えるのをやめようか」
そう言いながら、正田は枕元、ちょうど頭の天辺のところにあるラジオをつけた。
「昔は、ラジオ深夜便の2時台、3時台の音楽コーナーを聴いていると、何も考えないから眠りの世界に戻れたのだが、最近はかえって目が冴えてしまって、午前5時まで眠れないことが多い。それで最近は深夜にラジオをつけないことが多くなった。静かな夜が好きなわけじゃないんだけど...」
ラジオに耳を澄ますと、アナウンサーが、「3時台は、昭和34年の流行歌を掛ける」と言っていた。
「うーん、ぼくが生まれた年だから、最後まで聴きたいな。お便りを読むということなしに、次の曲を掛けるから、1時間足らずがあっという間に終わってしまう。ヤンリク(ABCヤングリクエスト 昔の民放の深夜放送)はのんびりしていたのにな。仁鶴さんのコーナーやキダタローさんのコーナーがあって、お便りをしばしば読んでいたから、かかっている曲を傾聴する時間が少なかった。それで目が冴えるということがなかった気がする。深夜の番組だから、時間の枠一杯に当時の流行歌なんかを入れない方が、落ち着いて聴けるんじゃないかな。15曲聴けたぞーより、当時の社会情勢、庶民の生活などを織り交ぜながら9曲かかったほうが、その当時のことが鮮明に蘇って、聴いてよかったなという気持ちになるんじゃないかな。でもそれを聴いてよけいに目が冴えるかもしれないなぁ」
正田は、なかなか自分の知っている曲がかからないことにいらいらしてきた。
「ぼくは洋楽のファンだから、その当時に録音されたクラシックやジャズの名盤なら結構知っているが、歌謡曲は余り知らないなあ。前にも昭和34年の流行歌の特集がラジオ深夜便であって、「黄色いさくらんぼ」「誰よりも君を愛す」「黒い花びら」「人生劇場」「山の吊橋」なんかがかかって、最後に三橋美智也さんの「古城」がかかったと記憶している。今日はそれらが掛からないなあ」
今回も、トリは「古城」だったが、もうこの頃には、正田は眠ることを諦めていた。
「4時台の講演では、まどろむことができるからこのままラジオをつけておこう。でもヤンリクは歌謡曲の流行歌より流行のポップスがよくかかったな。それからたまに昔のポップスなんかがかかっていた。「ワシントン広場の夜はふけて」「夏の日の恋」「悲しき雨音」「ライオンは寝ている」「風に吹かれて」「ミスター・ロンリー」「ほほにかかる涙」「砂に消えた涙」「雨」「アンチェインド・メロディー」「そよ風にのって」「サウンド・オブ・サイレンス」「青い影」「青春の光と影」なんかをヤンリクで聴いた気がする。思い出した。そう言えば、毎年大晦日の日にはヤンリクで「世界は日の出を待っている」という曲を流していた。この曲が好きなミュージシャンが多く、たくさんのレコーディングがされているようだ。ヤンリクでは確か、ベニー・グッドマン楽団のレコードを掛けていたと記憶している。ぼくは、レス・ポールとメアリー・フォードのものしか持っていないけど、デューク・エリントンが演奏するCDなんかがあれば買うんだけどなあ」
正田が足もとの方に視線をやると、朝日がうっすらと差し込んできた。
「もうすぐ日の出だ。最近、気持ちが沈むことが多いけど、いにしえの名曲を聴いて、心を熱くして日々過ごして行きたいな。でも今の社会情勢を鑑みて、これほど求められている曲が全然演奏されないのは、とても残念だな。でもお祈りだけはしておこう。世界のみなさんに、美しい日の出が見られますように」
そう言うと正田は出勤の支度のために階段を下りて行った。