プチ小説「希望のささやき2」
山川はその建物に入ろうか逡巡していた。山川は、55才で定年になり来月からは嘱託として会社に残る
ものの正社員ほど時間の拘束もなくなるので、今までやってみたいと思っていた楽器の演奏をしてみよう
と思った。山川は30代に始めた登山が唯一の趣味でありそれで充分な気もしたが、人生の季節の変わり目に
何か新しいことを始めるのもいいことではないかと思った。家族も賛成してくれたが、音楽はもっぱら聞く
だけで、楽譜もろくに読めないものにクラリネットの演奏ができるのだろうかと思っておりそれがビルの中に
入って行くのを阻んだ。
「とりあえず、どんなところかだけ、見ておこうか」
そう言うと山川は建物の中に入って行った。音楽教室は9階にあったが、エレベータに乗ると生徒らしい
二人の若い女性が話しているのが聞こえた。
「今度の練習曲は難しいわ。でも、テストをするわけでもないし。自主性に任せてくれるので、有難いわ」
「そうね、私も仕事が忙しくてなかなか練習できなくて、レッスンの時に上手くできないこともあるけれど、
それで恥ずかしい思いをしたことはないわ。ただ、いつまでもそのようにしていたら、結局、困るのは自分と思い、
時間がある時にはせっせと練習するんだけれどね」
「とにかくあのクラリネットの音色のようにのんびりやっているって感じね。そうして何年か先に好きな曲が少しでも
多く演奏できたら素敵じゃない」
「そうね」
山川はふたりの話を聞いて、迷わず受付に直進した。
「すみません。クラリネットを習いたいのですが、どうしたらいいですか」
受付の若い女性は答えた。
「個人レッスンとグループレッスンがありどちらか決めていただくのですが、まずはグループに入られることを
お勧めします。どうされますか」
「もちろん、グループレッスンで」
「
今のところ、6人の枠のところ男性5人で埋まっています」
「男性5人?」
「そうです」
「でもさっき、2人の女性が...」
「あの方達はもう2年ここで習っている方なので」
「なんだ、そうだったのか」